北海道ツーレポ(自在)
著作・製作 Hanajinさん  Hanajinさんってどんな人?



7/30(金)中標津〜知床


 北海道ツーリングも半ばにさしかかってきた。
こんなに長くバイクに乗る日々が続くのは初めてのことである。

計画を立てるときに、一日はゆったり走る日を作ろうと思って、今日は距離を短くした。
150キロそこそこだろう。
知床をゆっくり見て回ろうと思っている。行けるならカムイワッカの滝まで行きたいと思っていた。

 朝食の時にちょうどテレビでカムイワッカの滝からの中継があった。
まだ8時前というのに滝にはたくさんの人がおり、水着で滝の温泉に入っている。
気持ちよさそうだ。早朝から山道を登り、滝まで行った人たちなのだろう。

 滝に行くにはダートの道を11キロも行かねばならないと書いてある。
果たしてどんなダートなのか、行ってみなければ分からない。


 遅めの朝食を摂り、写真を撮って出発。
イシイさんは今日は違う方向に走るという。
たった2晩だけの付き合いだったが、この人も忘れられない人になるだろう。
家に帰って落ち着いたらメールでもしようと思った。いつかまたどこかで会える、そう思う。

 商船大の青年は今日は私と同じ知床に向かってペダルを漕ぐという。
もしかしたら羅臼辺りで会えるかも知れないね、といって先に出発した。
 

もう一度開陽台北19号を走り、道道975号を走り、伊茶仁に出る。
昨日の道を逆に辿る。そこから先は国道335号を北上する。国後国道というそうだ。

晴れていれば国後島が目前に見えるはずである。今日も霧が深いので何も見えない。
諦めているので損をしたという感覚はない。ともかく今ここを走っている。それだけだ。


 途中展望休憩所があった。止まってみると、そこに「北の国からロケ地」とある。
蛍と正吉が舟の中で話しているシーンを撮影したらしい。そういえばそんな場面があったと思い出す。

羅臼に入る少し手前でコンビニに寄り、コーヒーとシュークリームを食べた。
今回のツーリングではこの組み合わせのおやつを何度も食べた。
セイコーマートのシュークリームは美味しかった。


 霧が深く目の前の海が見えない。おやつを食べて2キロくらい走ると羅臼の道の駅がある。
そこから海産物を送った。


 道の駅の前は道を挟んですぐ海である。
道を渡り、ガードレールを乗り越えてテトラポッドに下り、この日記を書いている。

 波も穏やかで、霧に陽光が遮られているのでちょうど心地よい気温だ。
目の前は濃い霧。何も見えない。船が霧笛を鳴らして行き交っているらしい。音しか聞こえない。

 急ぐ旅でないのが何よりだ。女房にメールを送る。
 
 何がどうあろうとも今の自分を在るがままに受け止めて自然体で生きて行けたらどんなにいいだろうといつも思っている。
そうなれば人にも優しくなれるだろう。今までの自分はどうだったのか。

 日常生活を離れ、一人になって考える時間を持つことは良いことだ。
今までのこと、これからのことをじっくり考える。


さあ、また出発だ。1時間以上もテトラポッドの上にいた。

 相泊に行ってみようと思っている。
羅臼の町内から相泊に向け、道道87号へ曲がると、スタンドがあった。
ガソリンを入れ、バイクが余りにも汚れているのに気づき、高圧洗車機で汚れを落とし、水道で丁寧に洗う。
出発時の輝きを初めて取り戻した。バイクも気持ちよさそうである。

 「熊の入った家」という民宿がある。ここのことは「地平線」の主人が言っていた。
熊が入った後、それを見学に来る人が引きも切らなかった。そこで民宿を始めた。
泊まり客はいつ熊が来るかとはらはらしながら泊まる。

逆転の発想というか、宿は結構繁盛し、その家の持ち主は、
熊が来ても入れないような頑丈な家を建てて住んでいるという。
 

トンネルをいくつか抜け、道路が一部広くなっている所で止まり、コーヒーを淹れて飲んだ。
コーヒーセットが初めて役だった。
バーナーで湯を沸かし、ドリップで淹れる。堤防の向こうは海。まだ霧は深い。


 道道87号は海沿いの道である。
さすがに本場だけあって、昆布採集のための小屋が軒を接して並んでいる。直売場も多い。

 その中の一軒が温泉を持っている。
「セセキ温泉」だ。車が5〜6台停まれる駐車場から海岸へ下りると石造りの浴槽が二つ並んでいる。

一応男女別に作ってあるようだが、表示はない。
この温泉は個人の所有だから一声掛けて使わせてもらう。
私が着いた時には干潮で、浴槽の中は温泉だけだった。満潮になると潮が入ってくるらしい。

岩は黄土色がかった滑らかな岩で、その隙間から温泉が湧いている。
手で触れてみたが、60度くらいはあるのではないかと思った。
バイクに戻り、入ろうかどうか考えていると若い男女がやってきて、写真を撮り始めた。
またすぐに車やタクシーがやってきて、見学していく。これじゃあ入れないと思い諦める。

 行き止まりまで進むと相泊だ。漁港がある。

漁港の入口でユーターンし、引き返そうとすると一人のライダーが食堂から出てきた。
見ると「熊の穴」という店だった。本土最東北端という看板があった。

「何か美味しいものでも食べさせてくれるんですか」と聞くと、
「熊ラーメン」というのがあるんで、話の種に食べようと思ったんです」と言う。
「味はどうでした」と聞くと「しょうゆ味だけど、まあ、話の種ですからね」と言った。
旨くはないということなのだろう。だが、私も話の種に食べてみようと、中に入った。

 メニューは熊ラーメン、タラバカニラーメン、昆布ラーメン・・・。中には馬鹿ラーメンというのがある。
トドと鹿の肉が入っている。トド肉の刺身というのがあった。
先客のライダーが頼んで食べていたが、私は昨日のこともあり、熊ラーメンを頼むに留まった。

味は「話の種」だからこんなものだろうと思った。
焼き豚の豚の代わりに熊の肉が使ってある。独特の臭みがあり、好んで食べようとは思わない。
 汗だくになりながらラーメンを食べ終えた。


来た道を引き返す。羅臼までもう少しと言うところにトンネルがある。
そのトンネルを抜けた所で昨夜の自転車の青年とすれ違った。
まさか本当に会えるとは思っていなかったので驚いた。

彼が早かったのではなく、私が余りにもぐずぐずしていたために追いつかれたのだ。
すぐに引き返すと、彼がトンネルの入口で待っていた。少し話したあと彼はトンネルの闇に消えていった。


マッカウス洞窟に寄ろうと思っていたのに、忘れたまま知床峠へ駆け上った。
マッカウス洞窟はヒカリゴケが見られる洞窟である。
武田泰淳の小説の題にもなっている。
何十年も前に読んだ小説だからうろ覚えなのだが、遭難した船長が部下の人肉を食べるという内容だったと思う。
マップルで位置を確認していたのだが、知床峠という標識を見たとたん、頭から吹っ飛んだ。


 知床峠の上り坂で、北海道に来て初めてステップを擦った。
阿蘇に上る道に似ている。
それよりもカーブが緩やかで、高速コーナーが続くと思えばよい。
標高0メートルに近いところから一気に駆け上がる。上がるに連れて羅臼岳が間近に迫ってくる。
谷には残雪が白く輝いて見える。知床峠の直前の日陰に、大きな雪の塊が残っていた。
このまま来年まで残るのではないかと思った。
かなり高いところまで登っているのに、爽快感は全くない。
気温が高く、日差しも暑い。ただ駐車場の向こうに聳える羅臼岳は圧巻であった。

観光客が多く、ごったがえしている。知床が世界遺産になったとかなるとかで、訪れる人が増えているのだろう。
写真を撮って峠を下る。


 下りはカーブが緩やかで走りやすい。
知床自然観察センターに寄り、情報を仕入れた。
ちょうどバイク乗りの若い男女がいたので、知床五湖やカムイワッカの滝について聞いた。

知床五湖は熊が出没しているため、最近まで立ち入り禁止となっていて、
ようやく一湖だけ見ることが出来るようになったということは昨夜「地平線」で聞いていた。

その男女は今日カムイワッカまで行ってきたという。
隼に乗った人が来ていたから、ハーレーでも行けないことはないだろうという。
ただし埃まみれになることを覚悟しなければならない。
またバイクを置いて、沢を20分ほど登らなければならない。

帰りに汗をかくのと埃まみれになるので、温泉に入った気がしないということであった。


 五湖に行きながら考えることにして、とりあえず出発した。
自然観察センターから坂道を下り、北国の樹林の間を走る。
羅臼岳の裏側を見ながら走る。気温は30度を越えているだろうが、快適である。

路肩に何台か車が止まっている。見ると疎林の間にエゾ鹿の群れがいる。
車から降りた家族連れがそれを背景に写真を撮っている。鹿は逃げようともしない。
慣れているという感じだ。帰りにキタキツネも見たが、そのキツネは人間の手から餌を貰っていた。

 五湖に着いて駐車料金を100円払う。「ほう、北九州から来たのかね」と言われる。
そういえば北海道に来て以来、初めてそんなことを言われたと気づいた。

 五湖は全部回れば1時間くらいかかると聞いていた。
今は一湖だけなので、15分もあれば行って帰れる。

周囲に電線が張り巡らされ、熊が近づけないようになっている。
大げさに見えるが仕方がないのだろう。人間が熊に見物されているような気分で電線に挟まれた道を歩く。

 一湖は湖というより池に近い。周囲を木道で歩く。
ここにも団体客が溢れ、歩くのに難渋するほどだった。この池がここになければ何と言うこともないただの池だ。
一湖よりも他の湖の方が景色は良いと聞いたが、二湖に続く道はロープで閉鎖されていた。

 駐車場に引き返す。また汗だくになってしまった。
来た道を戻り、カムイワッカの滝へ続く三叉路の入口で止まる。
どうしようかと暫く迷った。明日の朝早く来てみようかとも思う。
しかし、ダート11キロ。う〜ん、とうなった。来年女房と来よう!そう結論して、再出発。ウトロに急ぐ。


泊まる予定の「知床ボンズホーム」は分かりにくかった。
これでも北海道かと思わせるような暑さの中、かなりへばってきていた
。自分で探すのは諦めてスタンドで聞く。

 分かりにくいはずである。昨日泊まった「地平線」よりも更に小さな民家だ。
国道334号沿いにあるけれど、初めて行った者にはとても分かりにくい。

階下は食堂になっており、泊まり客ではなくても食事ができる。
手作りの熊除けの鈴やカムイワッカの滝まで登るための草鞋なども置いている。
また知床岬の遊覧船の受付もしている。一人8000円である。
午前8時半に出て、午後2時に帰り着く。もっと短くて安ければ行きたかった。


 荷物を下ろして2階に上がる。
先客の若者と小さな男の子が遊んでいる。
もう一人5〜6歳くらいの女の子もいる。どういう宿だろうと思った。

子どもの遊び道具が散乱し、部屋は狭い。6畳ぐらいの部屋に布団が4つ。荷物を置くと足の踏み場もない。
2階が宿泊の部屋になっているのだが、2部屋しかない。
1部屋は女性が入っている。全部で宿泊客は6人。

ここは『いっさい干渉しない』ということがモットーになっているし、便所で見た案内にもそう書いてあった。
それはそれでいいのだが、これで素泊まり3000円以上というのは高すぎる。
宿選びに失敗したと思った。

岩尾別にもユースがある。そちらにすれば良かったと後悔したが、もう遅い。
あとから道雪さん達に聞いた情報では、岩尾別のユースもなかなか大変だそうで、
泊まり客がみんなで集まってお祭り騒ぎをするらしい。
昔のユースの名残が残っているのだろうかと思った。
それもこの歳になると敬遠させていただきたい。

 ずっと相部屋が続いており、睡眠不足である。一人でゆっくり寝たいと思った。
このままキャンセルしてすぐ近くにある民宿に移ろうかとさんざん迷ったが、同室に年輩の旅行者がいて、
その人と話しているうちに、その機を失してしまった。

今夜は酒を飲んで早めに寝ようと決めた。
幸い隣が酒屋である。自販機でビールを買い早速飲む。

 5時半から食事であった。ここはジャガイモ料理が名物だそうだ。
掘ったジャガイモを寝かせて置くと甘みが出る。そのジャガイモを使ったさまざまな料理が味わえる。
夕食にも出たが、味は良かった。


 同宿の人は、横浜からのシェルパ乗り、福島のランツァ乗り、高松と京都の人は列車やバスで移動しているという。
京都の人は昨日はサロマ湖の船長の家に泊まったという。
退職してから気ままに旅をしているらしい。バイクはいいねえとしみじみ言っていた。
車の免許は持っているということなので、カブでも買って北海道に来ればいいじゃないですか?と言った。
京都からなら舞鶴は近い。十分可能である。

 「ご自由におのみ下さい」と書いた焼酎が置いてある。
シェルパの若者が持ってきて飲み始めた。隣の酒屋でお茶を買ってきて、私もそれで焼酎を割って飲み始める。
早く酔って眠りたかった。みんなも自然に集まってきて、いろいろと話し始めた。

そのうちに主人も加わって知床の話をし始めた。主人は知床が世界遺産になることに対して批判的だった。
知床五湖辺りに熊が出没するのは要するに「保護」されているからだと言う。

調査と称して檻や麻酔銃で捕まえる。熊としてはそれで命がなくなったと思っていると、また放される。
要するに人間に捕まっても殺されないし傷つけられもしないと分かるから
平気で人間の前に姿を現すようになるのだということだ。

「同じ熊が何度も捕まるなんちゅうこと、おかしいと思われまへんか?」と関西弁で聞く。
 「ボンズホーム」ってどうしてつけたんですか?と聞くと、
「理由はあらへん」と答える。この人も自在に生きている人だと思った。



結局昨夜も眠れなかった。
6畳の部屋に4人は寝苦しいと思ったので、居間に布団を引きずってきて寝たのだが、
便所に行くために人がうろうろする。

その度に目が覚めて、寝付けない。
5時半には完全に目が覚め、6時に起き上がった。
音を立てないように荷物を下に持っていき、バイクにくくりつける。
宿の奥さんも起きてきた。隣の部屋で寝ていたようだ。

要するにこの宿は自分たちの生活圏に客を泊めているだけのことだとはっきり悟った。
先日も書いたが、他の地方からやってきて、生活するためにこのような宿を経営している人は北海道には多いようだ。
 

7時から食事。シェルパ乗りもランツァ乗りも今日は摩周湖周辺を走るという。
私が摩周湖ユースに泊まると言ったら、そこを予約するかもしれないという気配だった。

 食事を済ませてそのまま出発。2歳の男の子が興味深そうにバイクに寄ってくる。
エンジンを掛けてシートに跨らせると嬉しそうに笑った。女の子は嫌がった。

 子どもと奥さんに見送られて出発した。
今日は大回りして網走に向かい、美幌へ出て屈斜路湖方面から摩周湖まで走る予定である。
余裕があれば阿寒湖も行くつもりである。


 宿を出て暫く走るとオシンコシンの滝があった。
「100名瀑」の一つと書いてある。
駐車場で一旦止まり、家にメールを入れる。

滝はそこから歩かなければならないようだった。
朝から歩く気分ではなかったので、これも『また来た時でいいや』と思い、すぐに出発した。
考えたら、知床ではどこも見ていないような気がする。

 知床国道は海際の道。右側に奇岩が聳える所があったりして、気分良く走れる。
斜里町を過ぎ、小清水原生花園で休憩。駐車しようとふらふらしていたら、車に追突されそうになった。

 どこの原生花園もそうだが、今は花が少ない。
どこに行ってもあるのはハマナス。それと赤い花のクローバー。
赤ツメクサと言うのだろうか?いい加減に見学して、また出発。
途中、馬がたくさんいた。道産子というのだろうか、小さくてかわいい。
都井岬の馬に似ているがそれよりまだ小さい。

 さらに北上して網走市内へ。ここで見たいのは「モヨロ貝塚」。
北方民族研究の発祥の地だ。
この旅に出る前に司馬遼太郎の「オホーツク街道」を読んだ。
その本に出てくる遺跡で、アイヌ民族よりも前に北海道に住んでいた民族のことが書かれている。

北海道の先住民はアイヌ人だと思っていたが、アイヌ人の歴史は浅く、
日本で言うと平安時代ごろからだと書いてある。
それよりも前に、今の北方民族と文化を同じくする人たちが住んでいたらしい。

モヨロ貝塚から発見された様々な遺物はアイヌのそれとは全く違った様相を呈している。
この貝塚の発見を機に、北海道考古学が歩み始めたのである。

 網走の市内を抜け、能取岬に行く方角にモヨロ貝塚はあるはずだった。
その辺に来るとゆっくり進み、標識はないかと探したが、見つけることは出来なかった。
そうなると何かどうでもよくなって、一路能取岬へ向かった。

 能取岬は広々とした所で、暑くなければ爽快感に溢れる所だろう。
看板が立っている所まで歩き、祈念に写真を一枚撮る。

 ここも誰も訪れる人もなく、昨夜の睡眠不足を補うにはちょうど良い四阿が建っている。
風も心地よい。コンクリートの床に寝そべって目を瞑った。
先は長いが、気の向くままに走ろうと決めていた。



「あれっ、ここはどこだろう?」という感覚で目が覚めた。一時間経っていた。
昨夜の睡眠不足を取り戻し、ようやく頭がすっきりしてきた。
しかし、今日の予定どおり走るとすれば急がなくてはならない。

気温も高くなってきた。メッシュでも暑い。
次は博物館網走監獄に寄る予定だった。
能取湖の海側は繋がっているようだったが、ダートの道だと書いてあったので、それ以上は行かなかった。


 市内を走っていると右側に駐車場があり、その向こうに監獄らしき建物が見える。
駐車場に入り、100円払って歩く。
網走川を渡り、綺麗な花々が咲き乱れる庭園を横に見ながら進むと、立て札が立っている。
「受刑者のプライバシー保護のため、人物の写真撮影は禁止」というようなことが書いてある。
「あれっ」と思った。「この監獄はもう使われていないんじゃないの」と。

私の勘違いである。これは現役の刑務所で、博物館は別なのだ。
あとから道雪さんに聞いたところでは、この刑務所で現在服役している受刑者は比較的軽い刑の人たちらしく、
外で作業をしていることもあるそうだ。

社会復帰のためのプログラムなのだろう。
「網走番外地」のころとは様相が変わっているのだろう。

それでも見学に訪れる人々は引きも切らず、中国か台湾か分からないが、
観光客の団体がけたたましくしゃべりながら前を歩いていた。門の前で写真を撮り、引き返す。


 再びメッシュを着込み、出発。
「美幌」方面に左折する。すぐに「博物館網走監獄」という標識が見えてきた。

1050円払って中に入った。
この博物館は昔の監獄を移設した部分と、新しく復元したいろいろな建物で造られている。

門の内側は広く、見学するのに1時間はかかるというようなことを昨夜シェルパ乗りから聞いていた。
来た人の写真を撮って、出るときに出所祝いと言って、1000円で売りつけるそうだということも聞いていた。

悪い趣味だと思った。出会わなければよいがと思いながら、いろいろな建物を見物していった。
どの建物にもロウ人形が置かれ、臨場感を持たせているが、暗闇の中で出会うとドキッとする。
これもあまりいい趣味ではないと思った。

それにしても暑い。資料館の前には氷の塊が置かれている。
来る人来る人が触るので、上の方は変な形で溶けていた。

 木陰で休憩を取り、水分を補給した。
坂道が多く、炎天下を歩き回るのはきつかった。
それほど熱心に見た訳でもないのに40分ぐらいかかっていた。
今日は阿寒湖までは無理だなと思った。まあいいか。

 39号を南下し、女満別を過ぎる頃から雨が降ってきた。
路面はぐしょぐしょで、靴とズボンが濡れてくる。カッパを着ようと思うと雨が止む。
午後2時を過ぎていたので、どこかで昼飯でも食べて雨の止むのを待とうと思い、美幌市内へ。
中華料理屋があったので飛び込む。
またもラーメンと餃子を頼み、ゆっくり休憩することにした。

ここの料理はとても美味しかった。期待もせずに美味しいものが食べられた時は幸せを感じる。
食後にゆっくりコーヒーを飲みながら、日記を書いた。

 店を出てまっすぐに進み、コンビニの所を左折して国道243号へ。
「美幌国道」とマップルには書いている。
今日のハイライト、美幌峠に続く道である雨も上がり、薄日が差している。。

 「美幌峠」は是非通りたい道だった。
いろいろな情報誌でもお勧めの所だし、satohさんからも是非行くべき所だと勧められていた。

 美幌峠に到着。話に聞いていたとおり、眺望はいい。
少し靄が懸かってはいたが、屈斜路湖も見え、周囲も見渡せる。

ゆっくりしたかったが屈斜路湖の対岸には真っ黒な雲がかかっていた。
また降り始めるかもしれないと思い、出発しようとすると、制服を着た学生が近づいてくる。
福岡の教員養成の学校の学生だという。私のバイクのナンバーを見て話しかけてきたようだ。


この学生たちは敦賀からのフェリーで一緒だった。
制服を着ているが、高校生にしては何となく薹が立っているように見えたのだ。
聞いて納得した。いわば短大生なのだろう。

 50人以上の団体だったが、リーダーを中心としてきちんと統率が取れているように見えた。
14泊の日程で北海道研修旅行に来ていると言う。
その学生はハーレーが特に好きで、ハワイでレンタルして乗ったことがあると言っていた。

エンジンの写真を撮らせてくださいと言うので撮らせてあげて、出発した。
エンジンの写真なんかどうするんだろうと思いながら・・・。

 美幌峠を下って、和琴半島に行ってみた。
キャンプ場や温泉がある。天気が良ければ温泉にも入りたかったが、
風雲急を告げるというか、今にも大泣きしそうな空を見上げると、それほどゆっくりしてもいられない。
屈斜路湖の湖岸を巡る道路である道道52号に出た。
そのまま52号を走って、摩周湖方面に向かい、南下して摩周湖ユースに行こうと思ったのである。


 52号へ左折して少し行くと温泉やキャンプ場がいくつもあり、
テントの花盛りという様子で、道路を横断する人たちが多い。

あとで聞くと、道雪さんもそのテント組の一人だったという。
そこを通り過ぎると前方の雲が悪夢のように黒々と聳えている。

最初は山かと思った。よく見ると動いている。まだ遠いが、稲光も見える。とうとう少し降り出した。
 そこでUターンして国道243に戻った。雨が追いかけてくる。

 ようやく摩周湖ユースに着いた。ランツァが止まっている。
昨夜知床で一緒だった人だ。予想通り今夜はここを予約したらしい。
着いて荷物を下ろしたとたんに豪雨になった。
 バイクにカバーを掛けておこうと思った。いくらなんでもこの雨はサイドバックの中に入りそうだったからである。
ずぶぬれは覚悟の上である。
昨夜知床で一緒だったランツァ乗りが傘を差し掛けてくれたが、
その人の体の方がずぶぬれになりそうだったので断って走って外に出た。

 凄まじい雷雨はしばらく続いた。シェルパ乗りはまだ到着していなかった。
たぶん怖い思いをしながら走っているだろう。


 摩周湖ユースは建物自体は新しくはないが、内部は広く、清潔感もある。
外人客が何人もいる。他のユースでもそうだった。
世界ユースホステル協会というのがあって、日本ユースホステル協会がある。
会員になれば世界中でユースに安く泊まれるということだ。
それを利用して旅行する人たちも多いのだということを実感した。

 何日も睡眠不足なのでゆっくり寝たいと思い、一人部屋はないかと聞いてみた。
運良く1000円増しで2人部屋を一人で使うことが出来た。これでゆっくり眠れる。

 食事は別棟のレストランで食べることになっており、
すでに到着していたシェルパ乗りとランツァ乗りと3人で食べた。ワインが美味しかった。

 久々に一人部屋で寝ることが出来た。しかし日記を書いたりテレビを見たり、本を読んだり・・・。
寝たのは12時過ぎだった。

大勢泊まっている割りには静かだった。ゆっくり眠れた。









続く・・・