北海道ツーレポ(再開)
著作・製作 Hanajinさん  Hanajinさんってどんな人?


月が変わった。

何日もうろうろしていると月日の感覚がなくなって、
その日その日の初めと終わりだけを確認しながら過ごすようになってきた。
これが1ヶ月も続くとどうなるのだろう。道雪さんは1ヶ月以上も旅を続けるそうだ。
私も状況が許せば、いつかテントを持って日本のあちこちを旅してみたいと思っている。

いつまで続けてもいい旅こそ本当の旅ではないだろうか。
私には日にちの制限がある。本当の旅なのだろうかという疑問がわく。
ただ、このように非日常の世界にどっぷり浸かる日々も必要だ。


 この「旅」も半ばを過ぎた。折り返しが後ろに見える。
幸い女房も今のところ変わりはないと言う。それが一番有り難かった。



 今日は摩周湖を一周し、阿寒湖へ向かい、時間的に余裕があれば国道241号を足寄方面に向かい、
それからまた北上してサロマ湖方面に向かうという予定を立てていた。
結果から言うと、そんな遠回りをする余裕はなかったのだが、ぐっすり眠ったお陰で走れそうな気がしていたのだった。

 摩周湖ユースのすぐそばを道道52号は走っている。
雨は止んでいたが、相変わらず青空は見えない。

北上し、第一展望台へ。ここは摩周湖を紹介する写真そのままの風景だった。
幸い霧が晴れていたので湖面ははっきり見える。カムイシュ島も見える。

展望台で写真を一枚撮って、ふと見ると、昨日美幌峠で会った福岡の学生達が歓声を上げながら団体写真を撮っていた。
昨日の学生を捜したら、写真の列に並んでいたので、声を掛けることはしなかった。

 売店に行くと、摩周メロンや夕張メロン、富良野メロンなどが並んでいる。
夕張メロンを一切れ食べる。美味しかったので家に送った。


 第一展望台から第三展望台に向かう道路は素晴らしかった。
丈の低い白樺や松の疎林がクマザサの上に浮かぶように生えている。
そこに緩やかな上りのワィンディングロードが続く。

日曜日だというのにこちらに回る車は少ないのか、快適にスピードを上げられる。
しかし第三展望台を過ぎるとすぐに急カーブが待っている。
誰かさんが喜びそうな道だと思いながら、私は慎重に下っていく。


 裏摩周に行くには一度国道391号に出なければならない。いわゆる摩周道路だ。
売店で聞いた情報のとおりに「みどり」の方に右折する。
釧網本線を横切り、道道1115号を走る。この道も良い道だ。

沿道に「神の子池」があるので寄ってみるつもりだった。
神の子池の入口に着いた。ダートが待ちかまえている。
慎重に路面を確かめると、何とかなりそうだったので入っていった。

どのくらいの距離があるのか分からないが、浮き石はあるものの路面が堅いので、大丈夫と思っていると、
向こうから大型のバスがやってきた。

すれ違うためにバイクを路肩に寄せようとすると、そこは深い砂利だった。
恥ずかしいけどこけるより良いと思い、両足をついてバタバタと漕いで端に寄せた。

バスの表示を見ると「何とかの自然を保護する会」と書いてあった。
『自然を保護するならこんな大型バスで来るなよな!』と毒づいた。
私も排気ガスをまき散らしているから人のことは言えないのだけれど。


ダートは暫く続いた。あとから聞いた話では2キロくらいあるという。
それほど長くは感じなかったが、オフ車が何台か私を追い抜いた。

『やっぱり北海道はオフ車がいい!』と切実に思う瞬間である。
このツーリングの中で、立ち寄りたかったけどダートだったり、
店の前が砂利を敷いた駐車場だったりすることが結構あった。
躊躇い無く入っていくためにはやはりオフ車だ。次回はオフで走りたいと思った。


 神の子池の駐車場も砂利だ。おまけに雨で抉れていて停めにくい。
沈み込まないように場所を選んでバイクを止めた。

ヘルメットを脱いだとたん、凄まじい数の虻が襲来した。
そういえば今年は虻の当たり年というか、異常発生しているそうで、ここに限らず虻が多かった。
怖くはないのだが、鬱陶しい。

駐車場から歩いてすぐ、神の子池はあった。
写真で見たとおりの佇まいで、神秘的な色。それほど大きくない。
泉と言った方がいいだろう。そこから流れ出している小川に指を浸してみた。
冷たかった。こんな辺鄙な所なのに、見に来る人は多く、車も10台ほど止まっている。
とろとろ走って迷惑を掛けてはいけないと思うが、こけるより増しだと思いながら、車の前を走り、道道に出た。


 一気にスピードを上げ、裏摩周展望台へ。
こちらの方が眺めは良いと聞いていたが、特にそうは思わなかった。
写真を撮っただけですぐに弟子屈方面に向かう。

「養老牛」という看板が見えてきた。そうだ、この道を突き当たり、左折すれば開陽台は近い。
三日前に泊まった「地平線」から40キロくらいか。
『俺は三日間この辺ばかりうろうろしていたのだ』と改めて思った。

養老牛を左折して再び弟子屈市内へ。
市内で国道241号に入り、阿寒湖へ向かう。

「阿寒横断道路」とマップルには書いてあるが、路面はあまり良くない。
途中小さなカーブが幾つも連なっていて、走りにくい。おまけに路面も濡れている。


 阿寒湖に着いた。第一駐車場というところに止めたのだが、阿寒湖までは5分ほど歩かなければならなかった。
バイクだったら他の道から湖岸まで入ることが出来る。

まあ、散歩と思えばいいか、と思いながら旅館や飲み屋の連なっている路地を歩き、観光船乗り場に行った。

さすがに有名な湖だけあって、人が多い。
定期観光船や小さなボートの観光船が所狭しと並び、10人くらいのボートの運転手(?)が客待ちをしている。
タクシーのようだ。

別に観光船に乗るつもりもなく、ベンチに腰掛けてタバコを一服吸って、そのあと写真。
それから地図を見てアイヌコタンへ行った。

アイヌコタンは民芸品の店がずらっと並んでいる。
駐車場の横にはアイヌ舞踊などを見せる建物もあったが、何もしていなかった。

民芸品店をいくつか回った。髭の濃い男の人が座っている店で「黒百合」の球根と小さなお守りを買った。
球根は10月ごろに植えれば来年きっと芽を出すと言われた。

 駐車場に戻り、ふとミラーに顔を写すと、真っ黒に日焼けし、髭が伸びている自分の顔が見えた。
かなり疲れた顔をしている。洗面所に行き、石鹸で顔を洗い、髭を剃った。


 足寄方面に行くのは止めた。
そもそも昨日通った美幌の市内を避けたいと思ったから足寄方面に足を伸ばそうと思ったのだが、時間的に無理だった。


 国道240号を北上し、再び美幌方面へ。
美幌に近づくと急に路面が濡れてきた。雨が上がったばかりという感じだった。
カッパを着ようかどうか迷う。そうしているうちに雨がポツポツ降ってきた。
走り出すと止まってカッパを着るのが億劫になる。『濡れてもいいや!』そのまま走る。
いよいよ雨足が強くなる。
国道39号にはいると土砂降りの様相になってきた。
『美幌は今日も雨か、そういえば道雪さんが近づくと豪雨になっている』などと考えた。ごめんね、道雪さん。
 常呂川を渡る。この川沿いに行けばサロマ湖。道道308号へ右折する。



端野町に近づく辺りから雨も上がった。
昨日今日と雨に翻弄されている。

もうサロマまでは降らないだろうと思い、道ばたに腰を下ろして靴を脱ぎ、中の水を出す。
ついでに靴下も絞る。

もうすぐ道雪さんと再会だが、道雪さんは雨に遭っていないだろうか。

道道308から道道7号へ。ここも気持ちのいい道だ。
どん詰まりまで走ると国道238に合流する。
それを左折して行けば宿はすぐだが、能取湖を見ておこうと思い、右折する。
3分走って引き返せば、5時には宿に着けるだろう。

能取湖畔の道を90キロくらいで走った。
この湖は北側で海に繋がってるようだが、もちろんそこは見えない。
走り続けても同じような風景ばかりなので、飽きてきた。
それに濡れた下半身が寒くなってきた。20分走って引き返した。


 船長の家に着いた。駐車場に道雪さんのバイクとスクーターがあった。
その後ろにバイクを止め、道雪さんに電話。すでに到着してくつろいでいる。
同じ部屋に泊まる事になったらしい。

広い駐車場にはたくさんの車が止まっており、他県ナンバーやレンタカーもある。
船長の家の建物は想像以上に大きかった。荷物を下ろし、受付に行く。

 船長の家は迷路のようになっており、説明を聞いただけでは部屋までたどり着けそうになかった。
受付の女の人が一人一人に見取り図を渡して、蛍光ペンで順路を書いてくれる。


 重い尾荷物を抱えて、部屋に辿り着くと、道雪さんの他にもう一人、浴衣でくつろいでいた。
道雪さんに再会の挨拶をし、もう一人の人によろしくと告げる。
タニさんという東京の人で、道雪さんとは昨日知り合ったということのようだった。


 食事の前に風呂に入っておこうと思い、迷路をたどって風呂へ。
風呂は温泉らしく、新しい。
この建物も継ぎ足したものらしい。

新旧混在というか、人気が高まり、客が集まるにつれて、宿泊棟や風呂などを建て増ししている。
この風呂はそれほど大規模ではないが、まだ入浴客も少なく、気持ちよく入れた。


 船長の家では食べきれないほどの量の海産物、
特に蟹が食べられると聞いていたし、いろいろなガイド本にも書いてある。その上安い。

知床で同宿した京都の人も驚いたと言っていた。
通路の横が食堂になっていて、準備している様子が見える。
テーブルから溢れんばかりの鍋や皿。ここまで北海道の海産物と言えば、花咲ガニしか食べていない。
この日があるからと思って控えてきたのだ。


 夕食が始まった。まずビールだが、いちいち現金を渡して頼まなければならない。
生ビールは普通の値段だが、瓶ビールは近くの酒屋が協力してくれるそうで、原価で飲める。

3人で乾杯して夕食が始まった。噂に聞いたとおり、すごい量だ。
蟹のしゃぶしゃぶと蒸しガニの鍋が左右に置かれ、その間のほぼ1メートルが料理で埋め尽くされている。
毛ガニが丸ごと置いてある。これで6500円とは安い。人々が集まるはずである。
それでも以前より量が少なくなったと道雪さんとタニさんは言っていた。
味は特別美味しいということはなかった。ホタテを焼いたものが香ばしくて一番美味しかった。

 焼酎を頼んだ。確か200円だったと思う。ワンカップで来るという。
芋や麦はないと言われた。持ってきたワンカップを見ると、「ホワイトリカー」と書いてある。
うんッと唸った。こりゃ、梅酒を漬ける時のやつじゃないの?
生まれて初めてホワイトリカーを生で飲んだ。なかなか刺激的な味だった。



テーブルはライダー同士が集まるように席を決められていた。
知らない同士でもバイク乗りだと話が弾む。

道雪さんの隣に、静岡から来たというW1乗りが座った。
3年連続で北海道に来ている人だ。50代後半に見えた。
そう言えば私が荷物を解いている時にW1が到着した。その持ち主だと分かった。
新車から38年間乗っているという。

38年前と言えばまだ私が中学生だったころから、一台のバイクに乗り続けているということになる。
ただし今は同じバイクを5台持っているらしい。
そのうちの2台は動く状態にあり、あとは部品を取るために所有しているということであった。

彼のW1には荷物が満載してあったが、サイドバッグの中は全部部品でいっぱいだという。キャブまで入っているらしい。 
彼の話は本当に面白かった。一台のバイクに愛着を持ち続けている人に出会うと、自分が恥ずかしくなる。


 同室になったタニさんも面白い人だった。30歳くらいかと見えたが、もう40を越えている。
俳優にしてもいいような二枚目だった。
北海道はもう何十回も来ているということだった。
何をしている人かよく分からなかったが、急に思い立ってやって来たらしい。

スクーターの後ろに道雪さんと同じように大きなケースを括り付け、安定させるために少女漫画雑誌を敷いていた。
北海道に来ることを決めたとき、最初にしたことが少女漫画雑誌を集めることだったという。

 世の中にはいろいろな生き方をしている人がいる。
何が良くて何が悪いか一概には決められないということをつくづく思った。

勿論人を傷つけたり殺したりすることは論外であるが、「自由」ということを目一杯体現している人のように見えた。
そんな人に北海道で何人か出会ったこともこのツーリングの成果であった。

 ホワイトリカーのせいか、早々に眠くなった。



 翌朝は爽やかな気分で目を覚ました。
早速サロマ湖畔に散歩に行き、自販機でコーヒーを買う。
北海道で有り難いのは大抵の自販機にホットコーヒーがあるということだ。
九州では夏になると冷たいものばかりになってしまう。
ホットを買うためにはいちいちコンビニに寄らねばならない。

湖畔の石段に腰を下ろして、舟の走る様子を眺めた。
サロマ湖はホタテの養殖で有名だが、湖畔からは養殖場は見えない。



 ゆっくりタバコを吸い、コーヒーを飲んで引き返すとW1乗りの人がいた。
バイクの所に行って、詳しく解説を聞く。

溶接関係の仕事をしているというその人のW1は工夫に満ちていた。
バイクの前後に傘を差している。これは荷物が濡れないためである。
特に後ろの傘はビーチパラソルだ。それを立てるためのパイプを荷台に溶接してある。

荷台も自作である。雨が急に降ってきた時、バイクを止めてパラソルを開き、その陰でカッパを着れば濡れなくて済む。

なるほどと思った。この北海道ツーで、カッパを羽織るのが面倒で何回びしょ濡れになったことだろう。
先ほど記したサイドバッグの工夫。足下にはフットペグが付けられている。
勿論自作である。これくらいの年期が入ったバイクになるともう部品が手に入らなくなる。
フェンダーやフォークカバーもステンレスで自作したという。
難しい作業だったらしいが、みごとに作っていた。

エンジンにも手を入れているらしいが、詳しい話は忘れてしまった。
 右前のウィンカーが割れていた。昨日荷物の重さで支えきれず、立ちごけしたらしい。
代わりのウィンカーはサイドバックの中に入っている。





続く・・・