北海道ツーレポ(交差)
著作・製作 Hanajinさん  Hanajinさんってどんな人?


部屋に荷物を運ぶ。
布団が3組用意されている。奥の布団にはすでに荷物が置いてある。
先ほど挨拶した自転車旅行の青年だろうと思った。

2階にはあと2つ部屋があり、2つずつ布団が敷いてある。
下で飲んでいる人たちの寝る所だろう。
飲みながら大きな声でしゃべっていたが、あの調子で夜中も騒ぐのではないかと少々危惧した。

 おばちゃんにビールを出してもらい、外で飲みながら女房にメールを入れる。
その時、聞いたことのある音が「地平線」の入口から聞こえてきた。

白樺に囲まれた小径をハーレーが入ってくる。
昨日、唐路ユースで一緒になった奈良のイシイさんだった。

同じルートを辿ると言っていたので、もしかしたらここに来るかも知れないとは思っていたが、やはりそうだった。
今日予約を入れたそうである。イシイさんは2〜3年前にも来たことがあるそうだ。

 挨拶もそこそこに今日のルートについて話す。
ほぼ同じ道を走り、霧多布岬、納沙布岬と巡ってここに着いたということである。

「どこかで追いつくかもしれんと思うとったんやけど、会えませんでしたなあ」と言う。
「何時に出はったんです?」と聞くので、「5時半に出ました」と答える。「ははあ」と驚く。
 同室の3人目は彼だった。


 なぜか急に吐き気がしてきた。昼に食べた蟹の臭いが胸をむかつかせる。
悪い予感がした。もしかしたら食あたりかもれない。
しばらく横になろうと思って、2階に上がり、布団を敷いて横になる。

 昔の映画「幸せの黄色いハンカチ」で武田鉄矢が蟹を食べて下痢になり、
道端で用を足すシーンが思い浮かんだ。

これで入院ということにでもなったらどうしよう。
保険証は持ってきているのだが、悪い想像ばかりに気が向く。

 夕食は家庭料理。おばちゃんが心を込めて作ってくれている。
少し箸を付けたが、食べられない。

夕方から飲んでいる人たちが賑やかに騒ぎ、イシイさんもその輪に入って楽しそうだ。
私はおばちゃんに「すみません、調子が悪いので残します」と断って、また2階に上がった。

 暫く横になっていたが、これは吐いてしまった方がすっきりするかもしれないと思って外に出た。
舗装路に出、そこから熊笹の中に分け入って口に指を入れ、胃の中のものを全て吐き出した。
疲れが胃に来たのだろう。昼に食べたものも消化されていない。
 全てを吐き出したらすっきりした。

 宿に帰ると、車の周囲で何か騒いでいた。聞くと、私がいないので探している気配だった。
別に捜索しているということではなかった。今から風呂に行くという。

主人が車に乗せて温泉に連れて行ってくれる。
そのことはイシイさんから聞いていた。そのあと夜の開陽台に登るそうだ。

 宿のご主人がハンドルを握り、同室の3人を中標津の保養センターと言うところに連れて行ってくれた。
宿の主人が気を遣ってくれて、いろいろと話してくれる。
こちらからもいろいろ聞く。まず開陽台19号のこと。地元の者はそんな有名な道なんて思っていないらしい。

それから摩周国道のこと。地元の人間で「〜国道」という名前を使うのは「まりも国道」だけだと言っていた。
国道の番号は忘れたが、「くろゆり国道」と勝手に名前が付けられている道があるという話もしていた。

自分が徳島出身で、北海道が好きでここに住み着いたこと。
今はコンクリートミキサーの運転手をしながら、こうやって客を温泉に連れてきたり、開陽台に案内したりしていること。
 そんなことを話している間に中標津保養センターに着いた。


保養センターはかなり広い施設で、客が多い。
宿泊施設も兼ねており、中学生の団体が入っていた。
4人で風呂に入る。大浴場と露天とサウナがある。
広々としていて気持ちが良かった。

 同室の青年の肩は両方とも火傷のあとのようになっている。
ランニングシャツで走っていたら、火ぶくれになって水泡が出来たので病院に行ったという。

海水浴に行って、一度皮が剥けて、やっと良くなりかけた時に自転車の旅に出て、太陽に照らされたのが悪かったらしい。
病院に行くために何日か足止めを喰らったという。

 「若いときに焼きすぎると中年になってシミになるよ」。横に並んで背中を流しながら、私は言った。

私の背中にはいくつも小さなシミがある。
30歳のころ海で焼いて、火ぶくれができた。その痕がシミになって残っている。

 だが、その青年はまだ若い。まだまだ細胞が元気なうちは大丈夫だろうと羨ましくもあった。

 青年のことについて聞くと、東京商船大の学生だという。
航海実習が始まるとこんな旅には出られないから、夏休みを利用してバイトも休んでやってきたということだった。

 商船大というイメージからはほど遠い今どきの若者という感じがしたので、驚いた。
私の抱いていたイメージが間違っていたのだろう。


 私も少年の頃船乗りに憧れていたが、目が悪くなり諦めたことを話す。
昔は裸眼で1.2以上ないと試験も受けられなかった。
今は矯正視力で0.6以上あれば受けられるそうである。時代は変わった。

 その生活ぶりも他の大学生と変わるところはなさそうだ。ただ3年からは実習が多くなるようだ。


 背中を流した後、露天風呂でいろいろと話した。
イシイさんとは昨日からの知り合いだが、主人や青年は今日初めて会った人だ。
それが昔からの知り合いか親戚ででもあるように同じ風呂で同じ時間を過ごしている。

まるで人生の交差点だと思った。
それぞれの方向からやってきた旅人が同じ交差点で立ち止まって話している。そんな具合だ。


 風呂から上がった後、休憩所でお茶を飲みながら話は続いた。
イシイさんは「浪人ですわ」と言った。聞くと私と同い年。かなり大手の建設関係の会社に勤めていたようだ。
人生の中の一休みというところらしい。
ハーレーを買ってからもう5万キロも走っているという。九州にも来たことがあるそうだ。

いままで懸命に突っ走ってきた企業戦士が休息を取っている。
この後どのような行き方をしていくのか。

 私たちの年齢は微妙な年齢である。私にしても今まで背負ってき続けた荷を一度下ろしてゆっくりしたいといつも思う。
それは今すぐでもいいのだが、そのあとのことを考えてしまう。
生活は、子供のことは、生き甲斐は・・・。その妥協点を探す毎日といってもいいだろう。

何が大切か、どういう行き方をしたいのか。分かっているのだが、そこに踏み出す決心がつかない。
このようにしてただ時間だけが過ぎていく。いつ終わるか分からない終点に向かって。


 一度宿に戻り、上着を持って開陽台に向かった。
思いがけないほどたくさんの人がいた。
中には浴衣で花火をしている若い女の子のグループがある。
 

 「月のクレーターが見えますよ」主人はそう言っていた。展望台には望遠鏡が据えられていて、無料で覗くことが出来る。


交代で月のクレーターを見る。私の番が来た。
月は満月から少し欠けているのか、それとも明日ぐらいに満月になるのか、
天文の知識のない私には分からなかったが、左側がほんの少しだけ翳っている。
そちら側のクレーターの稜線が宙に向かってくっきりと見える。

 望遠鏡の倍率の問題もあるのだろうが、これほど美しい月を間近に見たのは初めてだった。
ここに望遠鏡を据えた人の心が伝わってきそうな眺めだ。

 宿の主人は天空を見上げて星の解説をしてくれる。

昔の北極星は今の北極星ではないこと、何万年後かには他の星が北極星になること、星座のこと・・・。
陳腐な表現しか持ち合わせない自分を恥じなければならないような星空だ。

 下に見える山裾に霧が湧き始めている。それが月の光に浮かび上がる。幻想的な夜景だ。
この夜のことは一生忘れないだろう。
 


 開陽台の展望台の下にキャンプサイトが見える。
正式なキャンプ場ではないが、ライダーたちがテントを張ることは黙認されているということで、
トイレや水道も夜間解放されているという。

9時近くになるのに、下からバイクが何台も上ってくる。
買い物袋らしきものを提げているバイクもある。
テントを見下ろすとランプの灯りの中で何人かが集まって談笑しているのが見える。

 朝日を眺め、夕日を眺め、夜景を眺めながらのんびり過ごすには最高の地だろう。
いつかまた仲間と一緒にテントを担いでやってきて、酒を酌み交わしたいと思った。


 ここに留まってレポートを書いていた人がいるということを主人が言った。
ツーリングGOGOに連載したという。そう言えば読んだことがある。帰って読み直そうと思った。


 宿に戻り、居間でみんなと話す。

今日急にやってきた4人は函館から来ているらしく、何か機械の据え付けかメンテナンスのために滞在しているらしい。
昨夜は保養センターに泊まったのだが、団体が入るので追い出されたと言っていた。
私たちが見た中学生の団体のことらしい。

 話してみれば面白い人たちで、北海道のことをいろいろと話してくれた。
新婚旅行で2日間で北海道を回った話は面白かった。
一日700キロ走ったという。だが、同じ話を4回も5回も話すのには閉口した。

 おばちゃんは私の体調を気にしてくれる。
温泉に入り、開陽台に行って、気分はすっかり良くなっていた。
 おばちゃんの気遣いに感謝しながら、部屋に戻り、眠りに就いた。



続く・・・