北海道ツーレポ(孤寂)
著作・製作 Hanajinさん  Hanajinさんってどんな人?



 塘路湖を眺めたあと、そのまま道を引き返す。
右手には湿原が広がっている。

どこかに踏み入ることが出来る道はないかと探したが、見当たらない。
唐路駅に向かって200メートルほど引き返した所で、大きなスーツケースを守るように、お婆さんが立っていた。
お婆さんの背はスーツケースと同じくらいに見える。
スーツケースには車が付き、引っ張るための取っ手もある。

 どうしてこんな所にお婆さんが一人で立っているのだろうと不思議に思った。
自分の母親を思いだした。
嫁さんとの折り合いが悪くて、家出してきたという風情なのである。
ただし、家の母と嫁さんは私と母よりもうまくいっている。

駅からここまでその荷を引いてきたのだろうかと思って近づくと、「塘路湖は遠いんですかね」と訊いてきた。
「ここから200メートルくらいだと思いますよ。
向こうに見える三叉路を渡って、向こうに下りた所から塘路湖が見えますよ」と教えた。

しかしとても一人で大きな荷物を引っ張っていくのは困難だろうと思っていると、
向こうから30歳を少し越えたくらいの男の人がやってきた。
「もうすぐそこや」とお婆さんに向かって言った。

 連れがいるのが分かってほっとした。「さっきの列車で着いて、近くを散歩しているんです」とその男の人が言った。
そういえば駅に変わった列車が着いていた。
しかし、二人の様子は旅行者の楽しさなど微塵も感じられなかった。

「どこからおいでになったんですか?」と私は聞いた。
「名古屋からなんです。釧路からあの列車に乗ってここまで来たんですが、
時間がどこあるんでどこかに行ってみようと思って・・・」と男の人が言った。

 この人達はどこに泊まるんだろうと思いながら、「そうですか、お気を付けて」
と言って二人をあとにして、駅の方へ引き返した。


 帰りがけにその列車をじっくり見た。普通の列車よりも少し小さく、緑色を主体とした塗装がおしゃれな感じがする。
何だかよく分からなかったが、一応写真に収めておいた。

 その列車はノロッコ号といって、釧路からこの唐路駅まで客を乗せてやってきて、
湿原を探索するために運行されていることが分かった。

そういえば細岡展望台に行く途中に釧路湿原駅というのがある。
ダートを400メートルほど入り込まなくてはならなかったので、行かなかったが。

 ノロッコ号はいわゆるお座敷列車で、中で飲み食い出来る。
一日に三回往復しているということであった。さっきの親子連れもそれで来たのだろうと思った。


 ユースに引き返すと、さっきのハーレー乗りが帰ってきていた。
私も荷を解き始める。
私の思ったとおり、到着時間が早すぎたので、近くの湿原まで見に行ってきたという。


 奈良の桜井から来ているという。イシイさんという名前の人だった。
イシイさんの風貌に関西弁はぴったりだった。
関西人そのものと言えばいいのだろうか。そんなものは無いと言われればそうだが、
やはり関西の人以外ではないとすぐに納得できる風貌なのである。 

イシイさんが先に受付を済ませ、私が最後の荷物を取りに行っている隙に二人の男の人が並んだ。
話を聞いていると台湾から来ているようだった。
明日の朝食を予約するかどうかで迷っているようだった。
夕食はどこかで買ったらしいビニール袋に入っているようだった。

二人の受付に15分くらいかかった。質問攻めに遭っている受付の若い娘も疲れ果てたという様子だった。
私は説明を一から十までたっぷり聞いていたので、名前を書くだけだった。 

とうろユースは清潔な建物だった。ただ、風情には欠ける。
裏のテラスの向こうに唐路駅と線路。その向こうに湿原と沼が見える。


バイクのカバーをしようと思い、外に出ると、イシイさんがハーレーを拭いている。

「このユースはめちゃくちゃやでえ、スリッパもあらへんにゃ。
バケツ貸してんか、言うても『あらへん』いうのや。

普通そんくらいなもん、貸してくれるで」と言いながら、水道で雑巾を洗い、目立つ所を拭いている。
私も上陸してから一度高圧洗車で洗ったが、すぐに汚れてしまったので、
帰るまでは洗っても無駄だと思い汚れたままにしておこうと思った。
ただ、海辺を走るので塩分だけは時々落としておきたいと思っていたのだが。



 北海道のスタンドにはホース式の高圧ノズルのついた洗車場がある。
特に海沿いの道にあるスタンドには大抵置いてある。

200円入れると水・温水・洗剤・温水・水の順で6分間吹き出す。
便利である。綺麗なバイクで走るのは、やはり気持ちがいい。


 イシイさんのバイクはそれほど汚れていなかった。
5年前のソフティル。エボの最終型だという。もう5万キロ以上乗っているそうだ。
あれこれと改造が施されているが、嫌味な感じはない。
ハーレーが好きで好きでたまらないという様子が磨く背中にうかがえる。

 私は洗車機のことを教えると「そりゃええわ、明日探してやってみよ」と嬉しそうに言った。
 


 二階の部屋に荷物を置く。
部屋は4人部屋。私が最初の到着者であった。

着替えを持って風呂に行く。混まないうちにさっぱりしておきたかった。
ユースの風呂は温泉地でない限り、ちょっと広めの家庭風呂という感じである。もちろん情緒はない。


 一階に下りる。
喫煙所は湿原に向かって開かれたテラスになっており、
そこに座って、無事に到着した祝杯を一人で挙げながら日記を書いていた。

湯冷めをしそうなほど冷え込んできた。道東はやはり気温が低い。
襟裳から釧路に近づくにつれて明らかに気温の差を感じることができる。
20度前後だろう。日記とビールを抱えて、屋内に戻り、続きを書く。

最初の日から日記はつけていたが、連れがあるとついおろそかになってしまう。
その分を埋めようと必死に思い出しているとイシイさんがやってきた。

 丸顔で眼鏡を掛け、あごひげを生やしている。
どこか大人(たいじん)然として、悠揚とした風を身に付けている。
私とは対照的な人だろうなと思う。


 人が自分のことをどのように捉えているのだろうかと、時々考える。
客観的に見て、自分とはどのような人間なのだろうか、と。
そのことがとても気になる時もある。そんな時というのは大抵神経が参っている時なのだが。


 この時はまだ名前も聞いていなかった。奈良からやってきたということだけは聞いていた。

今日泊まり合わせた客の中で、バイク乗りは2人だけである。
どこからどう回ってここに着いたかというような話もした。明日からの行動をどうするかということも話した。
イシイさんも霧多布岬、納沙布岬と回るようであった。


 夕食後、8時からオーナーがやってきて、釧路湿原探索ツアーやカヤックを使っての川下りの案内があった。
朝6時に標茶からガイドが来て、湿原を案内してくれるという。たった一人でも行ってくれるそうだ。
案内料1000円。それから川下りの発着場所などの説明がある。こちらの値段は聞き忘れた。
湿原探索ツアーは1人しか申し込みがなかった。川下りは2人だった。

 明日は長距離を走らねばならないので、朝食は予約していない。
早めに寝て、起きてすぐ走り出すつもりだった。

 9時過ぎまでテラスでイシイさんや家族連れの若い父母、一人旅の若い女性などと話す。
イシイさんは話好きだ。関西弁のテンポの良さに引き込まれる。


昨夜は早く寝たのだが、同室の二人が音を立てるために安眠出来ず。
一人は私の寝入りばなに入ってきて、ゲームを取り出してピコピコやりだした。
よほど怒鳴ってやろうかと思った時に止めた。もう一人は11時頃入ってきて、歯磨きを始めた。


 うつらうつらとしただけで、5時前には目が覚めてしまった。
そのまま荷物を全て抱えて下に下り、誰もいないダイニングルームで着替える。
朝食は頼んでいないので、荷物を積んでそのまま出発した。
エンジンを掛けないまま、塘路の駅に行き、駅舎を背景に一枚写真を撮った。

 天気は相変わらずすっきりしない。今日も霧が出そうである。襟裳岬からずっと霧が続いている。


 今日の予定は塘路から道道221号を通り、国道44号に出て、厚岸から道道123号を走る。
霧多布岬に行き、なぎさのドライブウェイを見て、道道142号へ。
それを道なりに走って、初田牛、落石、花咲、と東に進み、
最東端の納沙布岬に行き、根室、風蓮湖、尾岱沼、中標津と走る予定だ。かなりの距離になる。


 道道221は九州の山道を思い起こさせるワインディングだ。
朝早いので、すれ違う車は皆無。路面が少し濡れているが、快調に走れる。

尾幌というところでコンビニに寄り、コーヒーを買う。
厚岸で123号に入るとすぐに「厚岸グルメパーク」というのが見えてくる。

ちょうど腹の具合がおかしかったので、用を足し、家にメールをする。
グルメパークは丘の上にあり、厚岸湾が眼下に見える。
キャンピングカーが停まっており、その運転手と思われる人が洗面所で顔を洗っていた。
たぶんここで寝たのだろうと思った。

 北海道ではたくさんキャンピングカーを見たが、(一番遠いのは北九州ナンバーだった)
道の駅などで宿営しているものも多かった。
便所はあるし、水道はあるし、レストランはあるし、便利である。こういう方法もいいなあと思った。
 


道道123号前半は山の中である。
海からの霧だろうか、白樺やエゾマツの密林にそれがかかる様子は一幅の絵画のようだった。


バイクを止めて写真を撮る。タバコに火をつける。道の両側はクマザサと蕗が覆っている。
静かだった。熊がいつ出てきてもおかしくないような気がして、早々にタバコを消して出発した。



 間もなく「アヤメヶ原」という標識が見えた。ヒオウギアヤメの群生地である。
もう花は咲いていないだろうが、一応見ておこうと思って右折した。

 右折して坂を下りようとすると、路肩から滑り落ちて、30度くらいに傾いで停まっているワゴン車がある。
片方の車輪は辛うじてアスファルトに止まっているが、もう片方は完全に溝の中だった。
その車の前で年輩の女性が手を振っている。これはとても上がらないだろうなと思いながら、停止した。

「Uターンして戻ってきますので」と告げて行きかけると、下から木切れを担いだ年輩の男の人が上がってきた。
「結構ですよ、この通り汚れますから」と言った。Tシャツもズボンも泥まみれだった。
「手伝ってくださるというお気持ちだけで結構です。先があるでしょうから、気にせずに行かれてください」と言った。
「どうしても上がらなかったらJAFに入ってますから、呼びますので」
 私でもそうするだろうと思ったので、「すみません、行かせていただきます」と告げてあやめヶ原に行った。


あやめヶ原にて

 ひおうぎあやめの花はとっくに散っている。
原生地というのだろうか。人の手の入らないあやめの株は想像していたよりもずっと大きい。

原生地の中に細い道が岬の方まで続いているらしい。
岬の名前はチンペの鼻という。少し歩いてみたが、霧で何も見えない。
引き返して駐車場に戻る。誰も訪れる者もなく、霧が水滴となって滴る音が時折響くだけである。

案内所がある。かなり前に建てられたものらしく、壁の塗装は色あせ、霧に朽ちるままに放置されている。
その建物の前の階段に座り、これを書いている。

 静かだ。一人で旅することの孤独と寂寞。やっと何もかもから解放されたような気分になる。
この旅に来て良かったと初めて感じた瞬間だ。
 
ダケカンバの古木が幾本も並び、その過ごしてきた年月を私に語っている。


 『何十年もこうやって立ちつくしてきたんです。あなただって私と変わりません。
そうでしょう。どんなに周りに人がいたって、一人で立ちつくしているのと同じなんです。
今あなたが感じている孤独と寂寞こそが人生の本質で、
どんな賑わいの中にあっても自分の思惟の中からは逃れられない。
つまり私が語ることなく何十年も立ちつくしてきたのと変わらないのです。
そのことを寂しく思ってはいけません。その本質から目を逸らしてもいけません。
だってそのことを感じるということが生きているということなのですから。』
  


 このままこの森の中に融けてしまいたい。だが今日は先を急がなければならない。行くことにしよう。


 坂道を上がると、先ほどの車はまだ傾いだままだった。夫婦はまだ奮闘中であった。
ちょっと止まって様子を聞く。上がりそうにないのでJAFに連絡をとるようだ。
山の中だったが、携帯が通じる。

 ワゴン車の後部の扉が開いている。多摩ナンバーだった。
中はキャンプの荷物を満載している。まるで引っ越しをしているくらいの荷物である。

多分退職して、夫婦二人で北海道をキャンプしながら巡っているのだろう。
いや、もしかしたら全財産を抱えてあてもない旅に出ているのかもしれないとも思った。
人生の最後を飾る旅行をしているのかもしれない。無事に脱出することを祈りつつ、その場を去った。


 霧はますます濃くなった。
火散布沼という沼があるはずだし、反対側には海があるはずなのだが、全く見えない。
その霧は霧多布岬まで続いた。

その名前のとおり、この辺は霧が多いのだろうと思い、遠くまでの眺望を望むのは諦めた。
看板の所で写真を撮り、小径を下りていく。
波の音と船の霧笛が聞こえるだけである。
ほんの10メートル先の岩も見えない。目を凝らすとそそり立つ岩があるのだが、カメラでは写らなかった。


 なぎさのドライブウェイという所がある。砂浜を走れるらしい。
もちろん重たいバイクで入っていく気はなかったが、せめて一目だけでも見たかった。

なぎさのドライブウェイが終わった所にムツゴロウ動物王国がある。
入口はダートでどこまで続くのか分からない。
「見学不可」という看板がある。オフで来ているのだったら入口まで行っただろう。


道道142号に入る。この道はマップルでは「北太平洋シーサイドライン」と書いている。
確かに海の気配はあるのだが、相変わらず霧で何も見えない。
所々にアップダウンもあるが、快適な道である。
気温は20度ぐらいか。坦々と走る。睡眠不足の頭を覚ますために時々大声で歌を歌う。誰も聞く者はいない。
 初田牛から落石へ。根室本線がすぐ側を走る。
 

花咲蟹が食べたかった。いつだったか、テレビで花咲蟹のことを知って、本場で食べてみたいと思った。
142号から逸れて花咲港へ。さすがに本場だけあって、港には大きな蟹漁の船が舳先を並べて停泊している。
その入口の店先では蟹をゆでて食べさせてくれる。安い。1500円の蟹を1000円で食べた。腹一杯になった。


 一旦根室市内に入り、根室半島を周回する道道35号へ。
今日の主要な目的地である納沙布岬に向かう。途中の海岸線も霧に包まれて何も見えない。

 納沙布岬は35号線のすぐ側にあった。なにかあっけなく着いたという気がする。
最東端の岬だ。晴れていれば歯舞諸島が見えるはずである。
幾分霧は晴れていたが、歯舞諸島まで見えるべくもない。


 35号をぐるっと回って、再び根室市内へ戻る。
この市内は道が分かりやすい。
国道44号に出ると、交通量は多いが道は広くまっすぐで、走りやすい。

暫く走り、橋を渡ると風蓮湖が見えてくる。厚床から国道243号へ。
そのまま北上して風蓮湖を回る本別海から再び海沿いの道になってきた。
野付国道という名前が付けられている。ようやく霧が晴れた。

 白鳥台PAで休憩する
。展望台があり、北方領土資料館がある。
国後島に向かって叫んでいる像の下で写真を撮った。
展望台から望遠鏡で見ると、国後島が見えた。
本当に近い。この方面の漁師は本土と国後の半分までしか行けないのだろうかと思った。


 標津の手前から道道950号でトドワラに向かう。
この道はぜひ走って欲しい道だ。

左目で根室海峡、右目で尾岱沼を見ながら走ることが出来る。
このような道はなかなかないだろう。

トドワラは最近トドマツの枯れ木が減って、景色としては昔ほどではないと書いてあった。
あまり期待はしないで行った。途中にナラワラというのがあった。
楢の木が立ち枯れてそれが緑の楢林の中に白く映えて見える。
昔はトドワラもこのような風景だったのだろうかと思いながら写真を撮った。

 そこからトドワラのパーキングまで一気に飛ばす。
さすがにパーキングには人が多かった。
ここからトドワラまで行くには徒歩か馬車。遠くに馬車が見える。
歩いて行ってみようかとも思ったが、往復1時間はかかりそうだ。
諦めてカメラで遠望する。予想通り、トドマツの枯れ木はほんの少ししか残っていないようだった。


 帰ろうとすると突然大きな怒声が聞こえてきた。
驚いてそちらを見ると、若い男の人が今にも車を蹴らんばかりにボンネットをあけて中を覗き込んでいる。
怒声を聞いていると、どうやらバッテリーが上がってエンジンが掛からないらしい。
車の中にいる小さな男の子が、火が点いたように泣いている。
母親はどうしたのだろうと思っていると、売店の方から出てきた。

 借りてきたレンタカーらしかった。こんな所でバッテリーが上がれば、俺だって怒るよ、
と思いながらも、大声を上げて奥さんに怒鳴りつけている様子はみっともないと思った。


あとは今夜の宿泊地、開陽台の「地平線」を目指す。

行き方は2つある。一つは標津から国道272号へ左折し、中標津から北上する道。
もう一つは標津から国道244号をそのまま北上し、伊茶仁から左折。

この道もまだ野付国道である。そこから道道975号へ左折する。
マップルで見ると、まっすぐな道が続いている。ここを走るしかないと決めた。

伊茶仁で左折すると、まっすぐな道が続いていた。

車も少なく、みな100キロくらいでぶっ飛ばしている。まるで高速道路だ。
私も100キロぐらいで続いた。すると遙か後方からトラックがみるみる追いついてくる。
慌てて行く必要はないと思い、路肩にバイクを寄せ、トラックを交わした。
そのトラックは120キロは出ていただろう。トラックを交わして、写真を一枚撮った。

 「開陽台」という木の看板が立っているところを左折。今度もまっすぐな道である。
この道に平行に町道が何本も走っている。その間はすべて畑地か牧場である。

トドマツの防風林が美しい。刈り入れられた麦畑には麦藁をロールにしたものがいくつも転がっている。
これは牛舎の敷き藁にするそうで、北海道では何度もトラックに積まれて運ばれているのを見た。
マップルで見ると、975号の直線は10キロくらいある。
起伏も少ないが、交差する道が結構あるので、気を付けて走らねばならない。

 武佐というところで右折。その道を1.5キロほど行くと、「開陽台北19号」。
ツーリングマップルの表紙になっている道路だ。


今回の旅で行きたいところの5指に入る所だった。
ところが、走り始めてみると、何のこともない道だ。

確かにまっすぐで、起伏に富んでいるが、だからどうだという感想である。
「これ何?」と思いながら走った。むしろその前に走った975号の方がよほど素晴らしい。
開陽台19号の路面はそれほどきれいではないし、継ぎ目に草も生えている。
要するに生活道路なのだ。当たり前のことに今さら気づく。
それにしてもマップルの写真は美しい。写真写りのいい道路だとしみじみ思った。

 宿に行く前に開陽台に行った。19号が終わる所から急な坂を上り詰めると開陽台である。
駐車場は広く、そこからも根室方面がくっきり見える。
展望台まで上ればぐるっと360度見渡せる。

かすかに靄が懸かっているが、それが却って風景にまろやかさを与えている。
一日の終わりがけの夕日の光が伸びやかな山の草原に当たり、心底ほっとする。
 缶コーヒーを飲みながら、20分くらいもそこにいた。


 開陽台の急坂を下り、19号へ戻ると、下り坂のところにV字型に2台のバイクを止めて
写真を撮ろうとしているアベックに出会った。
滅多に車は来ないだろうが、迷惑なことだ。私はV字の隙間を通って坂を下った。下ったところで宿に電話。
 

 「地平線」は民宿である。開陽台19号から100メートルほど入った所にある。
普通の家を宿にしたという風情で、かなり古い。
到着すると、おばちゃんが笑顔で迎えてくれた。

砂利と土の混じった駐車場なので、スタンドの下に大きめの石を置き、こけないようにしておく。
振り返ると先客が居間のような所で酒盛りをしているのが見える。

4人いるようだった。

「すみませんね、今日急に4人入っちゃったもんだから、相部屋でお願いしますね」と言われた。
相部屋は覚悟しているので何ともなかったが、
すでに出来上がっている初対面の人たちと晩飯を食わなければならないと思うと、疲れがどっと肩に下りてきた。




続く・・・