蒼穹(鹿児島一泊ツーリング・第三章 それぞれの旅の理由)
著作・製作 Hanajinさん  Hanajinさんってどんな人?



背筋を真っ直ぐに伸ばした姿勢でmeiさんが我々を引っ張る。
少し緊張しているのが分かる。

十数台のバイクの先頭で走るのは初めてなのかも知れない。 

初めて見る鹿児島の町は、どことなく長閑だ。
維新の歴史の一端を担った数々の話が思い浮かぶ。 

中央公園は市内の真ん中にあるのだろう。天文館が間近だ。
近くに国道10号と3号がぶつかっている地点の標示があった。 

どこに行っても若者は元気だ。
朗らかな笑顔が行き交う。
訛りは感じられない。
どこに行ってもその土地の歴史の重みが薄らいできていると感じるのは私だけか。

 皆で昼食。

有名なラーメン屋「こむらさき」という店に行く。高い。
鹿児島では外食すると高くつくという話を聞いた。
本当だろうか。
多くの客が待っている。 あっさりしたおいしいラーメンだった。 
さすらいの道雪氏は一人でしろくまを食べに行く。
meiさんお薦めの店だ。

こむらさきの店内はごった返している。
私たちも席がばらばらだ。

隣の桟敷でVANさんとTAKAさんが見知らぬ夫婦と話しているのがもれ聞こえる。

私たちが福岡や宮崎からツーリングに来ていることに夫の方が興味を抱いたらしい。

もしかしたらその人もバイクと関わった時期があったのかもしれない。
私は5月の山口角島萩ツーリングの時、明神池で年寄り夫婦に話しかけられたことを思い出した。
その夫婦は数年前までハーレーでタンデムツーリングをしていたという。
私のバイクを見て、目を細めていた。

穏やかに歳をとって昔を懐かしむ。
共通の思い出があればあるほど人生の伴侶としての関係は深くなる。

羨ましいと思った。
夫婦の関係だけでなく、友情も同じだ。
こうやって一緒に遙々旅してきたという共通の思いが深く根ざした時に、初めて本当の友情と呼べるものが生まれるのだろう。

 VANさんも何か嬉しそうな顔をしている。
VANさんはさっき迷子になっていたのだ。
中央公園に着く少し前にガソリンが予備になって止まったという。

コックを捻ったがエンジンはかからない。

5分ぐらい悪戦苦闘した挙げ句、コックをoffにしていたことに気付いたという。

何度か連絡を取って、ようやく辿り着いたが、遅れても颯爽としている所がいい、とはTAKAさんのVANさん評。
だが、VANさんの活躍はこれだけでは止まらない。

 燃料に関しては、私も人ごとでは済まされない出来事が最後に待っていたのだが、その時は想像だに出来なかった。 




さまざまな依存症がある。

バイクだって立派な依存症だ。
無くたって生きられない訳ではない。
しかし無ければ生は急に色褪せる。

何への渇望なのか。
根っこの所では本当は繋がれている自分に気付いた時に、バイクは偽装離脱の手段として最適の物なのかもしれない。
 そんなことを考えながら走っている自分を笑う。
どんな旅にも旅愁はつきまとう。
たとえ仲間といてもいつの間にか忍び込むものだ。 
だが南国の空は今生きて「在る」ことを喜べと言っている。
そうだ、そうなのだと呟く。 

 再び動き出す。

先頭はまたしてもmeiさん。
港までひとっ走りだ。

集団の中に、もう一つイタリアンサウンドが加わった。 

港につくと相当の台数の車が乗船待ちをしている。
TAKAさんは物慣れた様子でスルスルと車の最前列まで進んだ。
あとの者も続く。
バイクから乗せるのだということを初めて知った。

一時休憩。 



【フェリー内に駐輪中のバイクたち】


すうっと私の横に笑顔が並んだ。横目で見る。

女性は笑顔がいい。
meiさんがひまわりなら、そのひとは芙蓉の笑顔だ。

sugakiさんだった。

このツーリングの前から、TAKAさんの掲示板で少しやりとりをするようになっていた。
私がバイクにつけている名前のことや、バイクの手入れについて。
ネット上では少し冗談を言える。
しかし、吉松で再開したときには、まだ会釈程度だった。

 「パパコさん(883の愛称)綺麗にしてあげてますね」sugakiさんが話しかけてくる。

バイクは人間が命を与えるもの。
このことは前にも書いた。
話しかけながら手入れをしてやることで、相手も答えてくれる。

 フェリーに乗り込むまでの少しの時間、sugakiさんのペケ男(sugakiさんの愛車の愛称)の状態を見て、手入れの方法とケミカルを教える。 
フェリーのバイク置き場でakutaさんがsugakiさんを気遣っている。 

二人にとってはこのツーリングは一生忘れられない思い出を残すはずだ。
まだみんなは正式な祝福の言葉は言っていないけれど、知り合うきっかけとなった多くの仲間達に見守られながら一緒に走る。

 その時間に立ち会うことになったことを私も幸せだと思う。


桜島が見える。
出航までの間、それぞれ写真を撮りながらしばしの休憩。
ほんのわずかの間だが、バイクを離れてゆっくりする。

このコースを決めたTAKAさんに感謝する。
 桜島は今日は穏やかな表情を浮かべている。
それを背景に数枚の写真を撮る。
akutaさんを撮ろうとする。akutaさんは何故そちらを背にして写真を撮るのか分からない様子だった。
「後ろに見えるのが桜島だよ」と教える。
初めて気付いたようだ。「あれが桜島なんですか。知らなかった」とakutaさん。
皆から冷やかされる。

今どこにいるか、ということより今誰といるか、ということの方が大切であるように思える。

人生の中でさまざまな人と巡り会い、その中の多くの人とは、別れる。
どんなつきあいであっても永久のものはない。

同じ時に生まれて同じ場所で生きて、同じ時に同じ場所で生を終えることは絶対にないのだから。
その中で出来るだけ一緒にいたいと思える人と巡り会い、同じ時を共有できることは何より幸せだろうと思う。

 皆何者からか解放されたいい表情をしている。

卑屈な諂いなど忘れて、ありのままの自分を出すことの出来る瞬間は、大人になればそれだけ少なくなる。
悲しいことだが、生きていくことは無垢を汚していく行為なのだから仕方がないのかもしれない。
それを嫌うならば、今の世では出家をするか、ホームレスになるしかないのかもしれない。
生きることの本質をどう捉えるか、人それぞれに考え方が違うだろう。
また、歳を重ねるに従って、変わってもいくだろう。

しかし引き返すことは難しい。
何色もの人生は生きられない。
となれば、日々の生活に色づけをして大いに笑い喜び、怒り、悲しむことは大切なことだ。

桜島を際だたせている紺青の空。
宇宙へと続く蒼穹。

太陽に照らされた私たちは、何者かの子。
最高の時を与えられて輝く。

フェリーは港へ着いた。バイクから下船する。
桜島周回道路だ。風景が白い。

時間はどっち向きに流れていくのだろう。
前から流れて後ろに行くような気もするし、後ろから押されているような気もする。
30年ぶりに、桜島にいる。
あのころと比べて、あまり変わらないように思えるが、溶岩は30年分だけ削れて丸くなっているのか。

「大正溶岩」展望台に登る。
30年前にはあったのか、無かったのか知らない。
めまいがする。暑いからではない。
速やかに過ぎてしまった、羽毛よりも軽い年月を掴み損ねているめまい。

眺望遙か、これから向かう垂水港が見える。
30年前、その海岸縁のキャンプ場で泊まった。
そして次の日に鹿屋で事故を起こしたのだった。
もしも時空をねじ曲げて過去の自分に会えるなら、垂水でキャンプしている自分に会いたいと思う。

桜島は何故桜島と名付けられたのか。
荒涼とした風景。 垂水へ向かう。

誰かが言っていた。降灰のためグリップが悪くなっている、と。
それを聞いた後、走りが慎重になった。
垂水方面と宮崎方面の分かれ道で、satohさんと別れる。
再開を約束して。

垂水港への信号を曲がる。ここで道を間違えそうになった。
駐車場は空いていた。
TDKさんが広場のような駐車場でバイクを旋回させている。
一行の中では最強のバイク。
今までの走りでは鬱憤が溜まるはずだ。

VANさんがまた来ない。
曲がるところを間違えたのは皆分かっていた。
しかしバックミラーで確認すれば誰も付いてきていないことはすぐに分かるはずだ。
それほど心配はしなかった。
これがVANさんの個性だから。

垂水からのフェリーはゆっくり話す暇がある。
ドカ乗りのKさんやBMのUさんたちと話す。
二人ともオフ車にも乗っているらしい。
N氏と私が20年前林道によく行っていたことを話す。


続く・・・