青き青き空の下の出来事-2005
著作・製作 Satohさん  Satohさんってどんな人?
2005年9月9日〜9月16日




 ツーリングの出発にあたって、いつも家族や職場の皆さんにすまないという気持ちがあります。

 今回はさらに台風14号で大きな被害を受け、ボランティアを必要としている人たちにも申し訳ないと思いながらの出発となりました。

 台風による通行止めのため、9月5日から9日まで都城に缶詰にされ、準備も不十分ななかでのあわただしい出発となりました。





9月9日

 午後2時30分、自宅を出発。台風による被害を考え、農道に入らずひたすら国道を北上しました。
 10号線沿いの川はいずれも堤防上端ぎりぎりまで水位が上がった痕を残していました。
 大分より高速道路で別府へ、ペンションヨチで汗を流した後久住ACの定例会に参加。楽しい時間を過ごしました。






9月10日

 ヨシさんとあっちゃんに見送られて出発。
 国道にでたところで、akebonoさんは左へ。私は右へ。
 昨夜宴会場へ向かった道をなぞるように進み、鳥○昧前を通過。

 佐賀関よりフェリー70分にて四国上陸。
 佐田岬の上空には厚い雲が立ち込めていたので、フェリー乗り場の待合室でカッパを着用。
 佐田岬メロディーラインを快適に走り、八幡浜へは入らず伊予灘沿いの国道378号線を進む。
 穏やかな瀬戸内海を間近に見ながらの快走路であった。
 松山市で、カッパを脱ぎ、昼食。

 今治ICよりしまなみ街道。
 側道を小型バイクや自転車、歩きの人が利用している。
 歩きで通る人からも料金を徴収しないといけないくらいこの国は貧しいのだろうか。

 しまなみ街道はまだ全線高速化されておらず、尾道市ではホリエモンの選挙ポスターを発見。
 予定より遅れていたので映画おれたちの大和で使われた原寸大の戦艦大和ロケ現場をパス。

 山陽道、中国道、舞鶴道を経て夜8時前、舞鶴港フェリーターミナルに到着。
 乗船手続きを済ませた後、市内へ向かって歩き、帰りの宿の場所を確認。
 近くの中華そば屋さんでラーメンと餃子とビールというおきまりのメニューで夕食。
 フェリーへの乗船は24時、出港は25時。





9月11日

 舞鶴発小樽行きフェリーは午前1時出港。

 フェリーの中はトレーラーのカーゴでいっぱいである。
 原油価格の高騰もあって、トレーラーが陸上を走るより採算があうのであろうか。
 フェリーの料金も重油価格に連動して上がっているらしい。

 最近の異常気象をみても炭素を酸化する時代の終わりをまじめに考えないといけない。
 炭素を燃やさない時代、それは石油資源を持つ国々の崩壊、自動車・石油関連産業の没落を少なくとも意味する。
 積極的な少子化もそれなりの発展的な意味をもってその命題の手段として手を挙げるだろう。

 二酸化炭素の消費の面ではやはり海にすがるしかないのか。


 小樽入港は21時である。
 20時より始まった衆議院選挙の開票速報をラウンジでぎりぎりまで見た後下船。
 結局勝たない方に票を投じる自分の投票行動は今回も変わらなかった。


 小樽より札幌まで約40分、かっての分かった札幌国際ユースホステルに投宿。

 バイク用のガレージを持ち、場所も分かりやすい。
 シングルの部屋も用意でき、お勧めである。

 チェックインは23時までで小樽や苫小牧のフェリー到着まで受けてくれる。
 門限は24時、ガレージが開くのは6時以降である。
 管理人お勧めのラーメンてつやまで歩いて30分、門限ぎりぎりである。







9月12日

 午前6時過ぎ、札幌国際YHを出発、北広島ICより高速道路へ。
 
 ((質問))正解の方に吉長うどん1杯!
 まもなく恵庭で高速道路の上をまたぐ陸橋を渡っていったあるものとは?

 苫小牧より、日高自動車道へ。太平洋を右手に、左手にはサラブレッドの遊ぶファームが散在する。
 様似のエンルム岬はフランスのモンサンミッシェルを思わせる山容。
 浜辺のコンブ干しの様子を見ながら、まもなく襟裳岬到着。

 感じ的には大観峰のような岬。太平洋につきだした日高山脈の突端である。
 強風を体験できる風の館なる施設もあるが、ズーッと風を受けながら走ってきたよーってことでパス。
 写真を撮って出発。


 広尾へ向かって北上。
 片側通行が多いが、交通量が少なく、九州のように定時式の信号ではなく誘導員による片側通行なので苦にならない。
 昨年のハナジンさんのレポートの時よりトンネルの整備もすすみ、快適に走れる。


 広尾を過ぎ豊似より国道336号線へ。
 GSも少ないが車も少なく、40kmくらい、車に追いつかないし追いつかれなかった。
 この間の対向車も10台くらい。九州では考えられない。

 白糠で昼食。地元の羊肉、ゴボウ、チーズを使ったパスタをいただいた。




 釧路へ入る。昨年ハナジンさんが釧路市内で苦労されていたので、身構えて市内へ入る。
 根室方向の標識に従って走るが、何回も右左折があり、確かに分かりにくい。
 後でマップルで確認したが、非常に遠回りのルートで腹立たしい。

 厚岸が近づくと、島のように厚岸大橋の対岸が見えてくる。
 厚岸湖ということになっているが、厚岸湾というほうが正しいと思われる。
 秀景である。


 風蓮湖を左に見ながら根室市へ。
 夕方5時前なのにすでに夕暮れの徴候があり、急いで半島の南岸を納沙布岬へ向かう。
 本土最東端にて、北方四島に対する地元の思い入れを避けるように写真を撮った。

 海の向こうに対する思いよりも宮崎から最も遠いところへ来てしまった思いのほうに心を捕らえられていた。
 ここから帰らなくてはいけない。

 5時30分日没。宿へ向けて半島の北岸を走る。
 ぼやーっとピンク色に染まった空はやがて筋状の濃い紅色に変わり、根室に入るころには夜が訪れていた。


 宿は根室駅近くの『ねむろエクハシの宿』。名の由来は択捉、国後、歯舞、色丹の頭文字をつないだものだ。

 本日までの走行距離 1400km





9月13日

 宿で朝食をとり、午前7時20分根室出発。気温は18℃。
 まもなく雨模様となり、GSで給油ついでにカッパを着用。
 厚床で右折し、標津方面へ。
 右手の海面へ国後が見えないかと目をやりながら進むが、見えたのは野付半島であった。


 悪天候のため、羅臼へは向かわず、まっすぐ斜里へと根北峠を上っていく。
 この峠は19年前の5月26日に新婚旅行でレンタカーに乗って越えた。

 この時も午後から吹雪になる予報に従って、トドワラなどの観光をパスして峠を上り、予報通りの吹雪のなか除雪車の後ろ について越えたのであった。

 九州ではトンネルで越える峠がけっこう多いが、この峠にはトンネルが1つもない。
 車も少なく、雨でなければ、大推薦の道である。


 網走を通過し、雨の中、暗い色に沈んだオホーツク海をみながら進む。

 浜頓別には大学の先輩がいる。クラブも所属科も同じで世話になった。
 訪れることは伝えていなかったが、雨も上がってカッパを脱ぎ、職場をお尋ねした。
 びっくりされていたが、少しお話もできてよかった。

 なんでも札幌あたりから、このへんの道にリッターバイクが300km/hをだしにくるそうだ。
 まあ、そのくらいまっすぐでまわりに何もない道路がたしかにある。


 翌日の天気も悪そうなので、そのまま宗谷岬へ向かう。
 最北端ということがなければ、なんということもない岬だった。
 写真をとり、道を戻って猿払村の旅館に投宿。
 なんでもイトウという幻の魚を釣りにくる人たち御用達の宿らしい。
 バイクをカヌーの入れてあるガレージにいれさせてくれた。

 走行距離 530/1930km





9月14日

 宿で朝食をとり、午前7時20分猿払村を出発。

 稚内方面は晴れていたが、台風15号くずれの低気圧の影響で南下にて雨になりそうだったのでカッパを着て走った。

 稚内へは向かわず、浜頓別から内陸に入り、名寄、旭川へと向かう最短ルートを選択した。
 内陸部では気温が12℃くらいまで下がり、雨もあって九州の初冬の感じであった。
 街路樹としてあちこちにナナカマドが植えてあり、赤いちいさな実がたくさんついていて美しい。


 士別より高速道路にのり小樽をめざす。
 北海道の高速道路は冬期用タイヤのためか橋の継ぎ目の鋼鉄部分の段差が大きく快適性を損じている。


 小樽には3時前に到着、フェリー乗り場にバイクを止め、荷物をロッカーに預けて街をぶらぶらする。
 駅前の三角市場で遅い昼食、お土産を発送。
 小樽は観光客でにぎわっていた。

 フェリーの出港は23時50分である。

 走行距離 380/2310km





9月15日

 フェリーの復路も静かないい船路であった。

 予定通り20時30分舞鶴東港到着。
 下船、5分で、埠頭の対岸にあるビジネスホテルに到着。
 近くの焼き鳥屋さんで夕食。
 最終章に突入した電車男をみて眠りについた。





9月16日

 朝6時起床、昨夜ホテル隣のコンビ二で買っていたおにぎりをぱくついて、そそくさと出発。

 舞鶴東ICより高速へ、来た道を逆に走り、三木junctionより神戸淡路鳴門自動車道へ。
 車も少なく快調に海の眺めの良い淡路島を通過、流石に流れの速い鳴門海峡を越え、徳島県へ。

 実は徳島県に入るのは初めてで、これでいったことのない都道府県は沖縄だけとなった。

 高速でも片側1車線の多い徳島県内を抜け、愛媛県大洲で高速を降りる。
 なんかいつも暗い感じのする夜昼トンネルをくぐると八幡浜、予定のフェリーへと飛び込む。


 臼杵が近づくと北には往路でフェリーに乗った佐賀関の煙突がよく見える。
 臼杵からは津久見、佐伯、そこから10号線にでて宮崎をめざす。
 この道は故郷蒲江町西ノ浦への往復で幼い頃からよく通った忘れられない道。
 延岡より南は町毎に渋滞に巻き込まれるが、ここまで来ればもうまわるラヂエーターのファンもあまり気にならない。

 家の近くのGSで最後の給油をして帰宅。
 Tさん、お土産ないの、ごめんね。

 総走行距離 2970km