青き青き空の下の出来事
著作・製作 Satohさん  Satohさんってどんな人?
2004年8月20日〜8月27日


準備編

来週の金曜日のフェリーに乗って、宗谷岬を目指そうと思う。

ツーレポの表題はいつもと同じ、青き青き空の下の出来事。



安全地帯の玉置さんの歌の歌詞から借りた言葉であるが、
雨が降っても、霧に囲まれても雲の上には青い空が広がっているんだって思いながら走るんだって気持ち。


旅立つにあたって、もっとも重いのは家族の、とくに妻の了解である。

幸いなことに職場に無理を言って、1週間の休みは貰えた。

何とか、20日の混んでいる宮崎ー大阪南港行きのフェリーも予約が取れた。

その後、妻にもなんとかツーリングにでることを話した。

快諾には程遠いが、、、、、。





今回の夏ツーリング、準備が非常に悪い。
オイル交換にも行っていない。

エンジン本体の熱を緩和できるパンツも結局用意できなかった。

使い慣れた手袋は右手の親指の付け根が裂けてきている。

シューズもトレッキング用のシューズで代用する。


本当はよくないんだろうが、ハナジンさんのレポートにあったようにそれぞれの服装で責任を持って走ればいいのだろう。

仕事ができる体で8月28日に帰ってくるようにしたい。






8月19日木曜日、職場の当直室より宿の予約をしました。

8月21日土曜日 新潟県清津峡温泉YH
8月22日日曜日 青森雲谷(モヤ)高原YH
8月23日月曜日 北海道ラフォレ積丹YH





清津峡温泉YHでは会員登録ができないとのことだったので、
明日の午後、宮崎市内のYHで登録手続きをすることにしました。

清津峡温泉YHを選択したのは、首都圏に入りたくなかったことや、
美味しい日本酒が飲めるかもと思ったこと、静かな温泉地であることが謳ってあったことなどのためです。



ルートは下のようにいくつか考えられましたが、天気などで大阪到着後決定することにしました。

1、名神ー北陸道
2、名阪国道ー東名阪道ー中央高速ー長野道ー上信越道
3、名阪国道ー東名阪道ー東海北陸道ー北陸道ー上信越道
4、名阪国道ー東名阪道ー東海北陸道ー長野道ー上信越道




ルート3では白川郷、ルート4では高山から松本へ越える乗鞍、穂高などの山岳が楽しみとなります。

青森雲谷高原YHは青森の南部の高原にあり、八甲田山、奥入瀬渓流、十和田湖への入り口にあたります。

オーナーがアイルランドビール好きで美味しいビールが飲めそうなYHと思って決めました。



持っていく文庫本は3冊

1、朝倉卓弥著 四日間の奇蹟
2、西村京太郎著 青函特急殺人ルート
3、C.J.BOX著 沈黙の森

8月20日 出発の日、当直明けで昼までの仕事をこなしました。



上司に1週間の夏休みを頂いた礼を述べましたが、
あんまり無理しないでね言われ、行程を見透かされたような感じでした。


帰宅後、まず妻に旅行スケジュールを渡しました。
こんなとこまで行けるのと言われましたが、返す言葉がありませんでした。

昼食後、南海部品にて手袋とタンクパッドを購入、さらに宮崎婦人会館YHにてYH入会手続き。
帰宅しタンクパッドを装着、近所の美容室にて髪をカット、荷物の用意。

バイク屋さんに出向いて、オイル交換、タイヤ空気圧のチェック、
帰りにガソリンを満タンとし、一応必要と思われたことは済ませました。











8月20日金曜日 

夕方5時40分、妻に見送られて家を出発。

6時30分宮崎港フェリーターミナルにて大阪南港行きのフェリーに乗船。
デッキは家族連れでいっぱい。

毎度のことながら、ひとりでの旅行に出してもらえることに感謝した。
まだ明るい空には見事な三日月がでていた。






8月21日土曜日 

7時20分フェリーは大阪南港かもめ桟橋に着岸しました。

いつものように阪神高速湾岸線にのり、USJの観覧車や大阪城を遠めに見ながら、大阪の中央を東へ進みます。


テレビ塔が乱立する生駒山を阪奈トンネルでくぐると奈良県です。
トンネルの出口にある壱分ICで高速をおり、平群とか、斑鳩といった古の名の町を通りました。

法隆寺ICより西名阪道にのりますが、天理ICから三重県の亀山ICまでは
名阪国道という自動車専用道路(無料)となっています。



高速道路ではないので60km/hの制限がついていますが、90km/hほどで車列は流れています。

覆面パトカー3台、普通のパトカー2台を見かけましたが、
スピード違反というより、トラックを止めて積み荷の違反などを取り締まっていたようでした。

ちなみに覆面パトカーは2台がグレーの先代スカイラインのセダン、もう1台はクラウンでした。



三重県に入り、亀山ICから有料の東名阪道を北上します。

その手は食わなの焼きはまぐり、で有名な桑名の先で揖斐川、長良川、
木曽川と3つの川を越え、蟹江ICで高速をおりました。


下道を北へすすみ、尾西ICから東海北陸道にのり、さらに北上しました。

高速にのって5分も走ると右手に巨大な塔が見えてきて、まもなく岐阜県に入ります。

県境となっている木曽川を越えるとハイウェイオアシスが建設中で、大きな淡水魚水族館を造っていました。
風の盆で有名な郡上八幡を過ぎると気温も25度くらいに下がってきて快調に走ることができました。


ひるがの高原SAにて昼食をいただきました。
この北に分水嶺があり、そこから先の川は日本海にそそぐことになります。

荘川桜、御母衣(みぼろ)ダム、白川郷

荘川ICにて高速をおり、荘川桜を見に行きました。
御母衣ダムの建設に伴い水没することなった2本の樹齢450年の桜をダム湖のわきに移したものです。
その作業はNHKのPROJECT Xでも取り上げられました。


ダムの着工が昭和32年ですから移されてから私の年令くらい経っていることになりますが、
ますますたくましくその姿を残しています。

葉の色も普通の桜と違った濃い緑色をしていました。

この辺りのトンネルやスノウシェッドは高さ不足で
観光バスが中央線を大きく越えて進んでくるので走行には注意が必要です。



ダム湖畔を進むと御母衣ダムが姿を現わしました。

自然石を三角柱を倒したかたちに積み上げたようなロックフィル式といわれるダムで、城壁のようにも見えました。
コンクリートのダムを見なれた私には異様なものに見えますが、工法上経済的なものなのだそうです。



ダムを過ぎるとまもなく白川郷合掌村です。
国道から見ただけですが、考えていたより多くの、数10棟の合掌造りの家屋が集中していました。
雪を知らない宮崎人の私には古い日本の集落というより、異国の村の姿のように思われました。






天険親不知

ツーリングマップル第2版にはまだ載っていませんでしたが、
東海北陸道が白川郷までできていたので、高速にのって北陸道をめざしました。


立山は雲に隠れて姿をみることはできませんでした。
黒部川を越えると立山連峰が海に向かって迫り出してきてそこに天険親不知と言われる難所があります。

戦に負けた平家の平頼盛の夫人が子をつれてこの難所を通る際に子を波にさらわれ、
 「親しらず子はこの浦の波枕 越路の磯のあわときえゆく」と呼んだそうです。


今では国道、JR、北陸道が通っていて難所でもなんでもなくなって、
さらに北陸新幹線の工事も着々とすすんでいるようでした。



上杉謙信の春日山城の下をくぐると上越Jctでここから上信越道を南下しました。
ウインターリゾートとして有名な妙高山や黒姫山を右手に見ながら進み、
豊田飯山ICで高速をおり、千曲川沿いの国道117号を北上しました。

長野県から新潟県に入ると千曲川はその名を信濃川と変えます。
中里村で右折し、清津峡温泉YHには午後7時、予定より1時間遅れで到着しました。



清津峡温泉YH

清津峡温泉はスキーリゾートとして有名な越後湯沢のすぐ北にある温泉地で、
このYHはそこからトンネル1つ離れた瀬戸口温泉の1軒宿です。

この日の宿泊者はライダー3人と初老の夫婦が1組でした。
夕食はマグロのカマの煮物と肉の陶板焼き、山菜の小鉢などなどで、
宿泊者全員で囲炉裏を囲んで、自動販売機から買ってきたビールと頂きました。

日本酒はストッカーにいろいろと入っていましたが、開封後時間がたっているものが多く残念でした。

そのなかでも新しいものを選んで新潟産の日本酒を飲みましたが、さらっとした味でした。
部屋はライダー3人で同室でした。

建物の裏には大きな鯉の泳ぐ池があってそこに流れ込む水の音が
夜間ずっとしていて雨が降っているのはないかと心配になりました。


本日の走行640km


8月22日日曜日(1) 

新潟県



朝6時30分、同室だったライダー2人に見送られて、谷あいの宿清津峡温泉YHを出発しました。
朝早くの出発をわざわざ見送ってくれる人がいることをうれしく思いました。


関越道塩沢石打ICより、高速に乗り、北上しました。
雨がパラついていましたが、前方は明るく、合羽を着ることなく進みました。

周囲は有名な米どころ、魚沼のこしひかりの田が広がっています。

雪国まいたけの工場?もあり、「心にブレーキを、健康にまいたけを」といったフレーズが壁に載っています。

長岡Jctから新潟方面へ進み、日本海東北道、そして村上市の手前で高速を降りて、
国道345号で日本海沿いを北上しました。



新潟県北部の海岸は奇岩、白砂の浜、綺麗な海で有名で、笹川流れと呼ばれています。

儒学者として名高い頼山陽の三男で幕末の志士、頼三樹三郎が笹川流れを評して、
松島はこの美麗ありてこの奇抜なし、男鹿はこの奇抜ありてこの美麗なしと述べているそうです。
日曜日ということもあって海遊びをしようとする人たちで混雑していました。




山形県

宮崎を出て9番目の県となる山形県に入りました。
鶴岡市、酒田市を高速でパスし、国道7号線を北上しました。
この辺りから鳥海山の雄大な裾野が見えます。
山頂付近は雲に隠れていましたが、その優雅な裾野のカーブは富士山にも劣らないものでした。




秋田県

秋田県に入ったところは、象潟(きさかた)町といいます。
松尾芭蕉の紀行奥の細道の最北端の地として知られています。

彼がここを訪れたのは1689年、雨に濡れるネムの花を見て、
象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花、という句を詠んでいます。

西施というのは敵国王を凋落にするために敵国に送られ、国の間の争いに翻弄された悲劇の美女だそうです。

「松島は笑うがごとく、象潟はうらむがごとし、寂しさに悲しみを加えて地勢魂をなやますに似たり」
という奥の細道の記述があるようですが、悲劇の美女を思わせる景色とはいかなるものだったのでしょうか。

1804年の象潟大地震で潟は隆起し九十九島様だった風景は様変わりしたようです。


秋田市の20kmほど手前をちょっと入ったところに亀田という町があります。
最近のテレビドラマの砂の器で登場したかどうかは知りませんが、
初めの映画では緒方拳扮する三木巡査が殺される前に東京蒲田のバーで残した
「カマタがどうした」とかいうズーズー弁のカマタの候補として登場します。

羽後亀田には丹波哲郎と森田健作扮する刑事が捜査に訪れ、
後に話はズーズー弁風の方言が話される出雲の亀嵩(かめだけ)へと繋がっていきます。


秋田の日本海沿いの国道7号線の両側の木々はまるで山火事にでもあったかのよう立ち枯れていました。
松だけでなく広葉樹も同じように茶色く変色していました。
猛暑のせいかと思われました。

秋田市内を抜け、国道7号から285号、105号を経て再び7号へ、大館市を通過し、矢立峠を越え、青森県に入りました。





青森県

碇ヶ関より東北道に乗り、26度前後の気温の中を快適に走りました。

弘前が近づいてくると左手に岩木山がやや霞んでいるものの優美なシルエットを見せてくれます。
20年以上前、当時の国鉄で北海道を旅行した際、京都から乗った夜行寝台特急で、
朝靄の向こうに見たシルエットも朝夕の違いこそあれ、こうだったのでしょうね。

青森市でも高速はマップルより先まで完成していて、市内で無駄にうろちょろしてしまいました。
青森市内から103号線を南下し、午後5時30分、青森雲谷(もや)高原YHに到着しました。

YHの前にはBMWとSUZUKIの650ccのオフ車が止められていました。
ステップをのせるように置かれた板の上をまたいでバイクを止めました。


このユースのペアレントさんはアイルランドのビールが大好きな方で、
お勧めのギネスビールとともに夕食を頂きました。

お客さんは先述のライダー2人、レガシーセダンで東北旅行中の21歳男性(この方と同室)、他に2名でした。

このギネスビール缶には窒素ガスを封入したプラスチックボールが入れられていて
、リングプルを引くとガスが開放されます。

グラスを斜めにしてそっと注ぐと非常に細かい泡が滝のようにビールのなかを降下し、
2,3分でグラスの上に硬い、爪楊枝がたつような泡の層ができます。

ギネスビールはあまり冷たくなく保冷されていました。

アサヒスーパードライもありましたが、これは十分冷たく冷やされていました。

8時になると近くの温泉への温泉ツーが行われました。
温泉から見た満天の星、漆黒の陸奥湾を抱え込んだ青森の夜景はとても綺麗でした。


台風16号の動きを心配しながら、一応明日北海道に渡ることを決めました。
少し、おさびしの虫が自分の中で声を上げているようです。
電話で妻にもさびしいんじゃないのと言われてしまいました。

深夜に行われるアテネオリンピック女子マラソンを応援する宿泊者たちが
ペアレントさんに深夜までテレビを見る許可をもらっています。

私は余裕なく早く寝ることにしました。






8月23日月曜日 

前日の走行600km/1240km

駒大苫小牧高校、優勝おめでとう。
野口みずきさん、金メダルおめでとう。

朝6時に目覚め、めざましTVをみて、アテネでの女子マラソン野口選手の金メダルシーンを見ました。

元気をもらって午前6時40分にYHを出発、陸奥湾に向かって道を下っていきます。
海岸に突き当たったところを左折し、ベイブリッジを渡るとフェリーターミナルです。
簡単な手続きで7時30分発の青函フェリーに乗船できました。


3時間40分で函館港に入港です。
暫定利用されている函館江差自動車道、函館新道を経て、国道5号線を北上しました。

駒ケ岳は東北の鳥海山や岩手山と違って猛々しさを持っていました。
国道5号線は車は多いものの、だいたい80km/hで流れています。
それでいながら対向車がないと見るは平気で追い越しをしていく車があるのにはびっくりしました。
昼食は道の駅You遊もりでいなりずしをひっくり返してホタテでふたをしたような寿司を頂きました。


長万部で噴火湾に別れを告げ、黒松内町からはニセコへ向かわず日本海に向かって寿都に進みました。
日本海にでて海岸沿いを北上しましたが、この国道229号線は
弁慶の刀掛岩、神威岬など奇岩、奇景が続々と現れます。

トンネル(内部の換気がやや悪い)がかなり整備されてきていて、
トンネルを抜けたあとに振り返るようにして再度風景を見ないと済まないようなところです。
北海道を訪れる方には是非一度走ってみることをお勧めします。


午後4時40分積丹町のYHリフォレ積丹に到着しました。
荷物を預けて積丹岬を訪れました。

ススキの穂がゆれ、萩の花が咲いていて、
北海道はもう秋への1歩を踏み出しているんだなーって思いました。


宿泊者はお子さん1人を連れたご夫婦、定年後に北海道を車で旅行されている
滋賀のご夫婦、昨日とは違うレガシーセダンで旅行中の男性でした。

お子さんがちょうど誕生日だったとかで、8時くらいからみんなでケーキを囲んでお祝いをしました。
年長のご婦人は話上手で滋賀のフナ寿司、
沖縄の豆腐を泡盛に漬けて発酵させた珍味、葬式のときの着物や帯の話など
いろんな話を聞くことができました。



本日の走行280km、合計1520km




8月24日火曜日

朝7時前、YHの屋根付き車庫からバイクを出し、出発しました。

北海道の小学校はもう2学期が始まっていて、小学生が登校していました。

余市から国道5号線を南下し、しばらく走ると道の右手にニセコアンヌプリ、
左手に蝦夷富士と言われる羊蹄山が見えてきます。

ニセコアンヌプリにはいくつものスキー場が今は緑のゲレンデを展開しています。
羊蹄山は正しくは後方羊蹄山(しりべしやま)で、
阿倍比羅夫が658年に蝦夷を討った記載のある日本書紀にもその名がでている名山です。

後方を「しりへ」、羊蹄を「し」と呼ぶようですが、
「し」とはギシギシという草の漢名でその葉の形が羊蹄に似ているということです。

シダを羊歯と書きますがその類でしょうか。



長万部からは昨日と同じ道を逆走することになります。

北海道ではバイクだけでなく、自転車でツーリングを楽しんでいる人もたくさんいました。
追い抜きざまに左手を上げると彼等も手を振ってくれました。
なにか共通するものを心に持っているのだと思いました。


函館新道からは函館山の頂きを雲が流れるのがきれいに見えました。
フェリーの時間がぴったりで青森のユースの夕食に間に合うためにお土産を買う時間もなく、乗船しました。

青森フェリーターミナルに着くと南の八甲田山は真っ黒な雲に覆われていました。
その雲に向かって坂を上っていきましたが、幸いなことに雲の手前で宿のYHに着くことができました。


ユースの宿泊は娘さんの運転する車で北海道東北をまわっていらっしゃる夫婦さん家族、
アメリカンのライダー1人、JRで日本各地を旅する学生さんなどでした。

夕食時間近くになって別々でしたが、フランス、スイスなどからの3人の若い女性がやってきました。

オリンピックで野球の放送をやっていましたが、フランスの女性などはまったく野球のことがわからないらしく、
説明を求められましたが、こちらも英会話はまったく不十分でしどろもどろでした。

本日の走行距離270km/1790km









8月25日水曜日

奥入瀬渓流

この日は予想をはるかに上回る2つの景色に感動させられることになる幸福な日でした。
朝6時30分、バイクに下りた夜露を拭ってユースから出発しました。


八甲田山をめざして進みます。
夏は優しい山容を見せていますが、冬にはまったく違った厳しい姿を現わすのでしょうか。

言うまでもなく新田二郎さんの八甲田山死の彷徨や高倉健主演の八甲田山で有名な
明治時代の陸軍遭難事件の現場です。


硫黄の臭いの立ちこめる酸ヶ湯(すかゆ)温泉を過ぎて、
傘松峠にいたると遠くにかなり大きな朝日に輝く水面、十和田湖を見ることができます。

さらにいくつかの温泉を通過していくと道は奥入瀬渓流の道へと進んでいきます。

この奥入瀬渓流がすばらしかった。

言葉でうまく説明ができないので、是非現地に行ってできれば渓流沿いを歩いてみられることをお勧めします。
その周囲の樹林の姿、多くは優しい、ときに激しい姿を見せる渓流、
滝の姿、湿気の高いシンとした空気、すばらしいものでした。

この川は十和田湖から流れ出る唯一の川で大平洋に注ぎます。
従って渓流を遡って走ったことになります。
紅葉の時期が最高なんでしょうが、この時期に来てよかったと思います。
朝早かったので、観光バスの姿もなく幸運でした。

20分ほどで十和田湖にでて、さらに発荷峠、十和田大館樹海ラインを通って小坂から東北道にのりました。




国道252号線六十里越え、田子倉ダム

秋田県最北端の小坂ICからひたすら東北道を南下しました。
岩手県の岩手山、宮城県の蔵王山などの眺望を楽しみながら走り、
福島県の郡山Jctから磐越道を西へ進みました。

福島県は今回の旅で宮崎を出発してから15番目の道府県になります。
磐梯山を右手に見て会津若松を過ぎ、会津坂下(あいづばんげ)ICで高速をおりました。


ここからJR只見線に沿った国道252号線で新潟県へ越えました。
始めはトラック、ダンプの多い道で閉口していましたが、
山間部に入ってからは快適に走ることができました。

県境の只見町に入ると、田子倉ダムが見えてきます。
このダムでできた田子倉湖にはマタギといわれた猟師の村があったのだそうです。

田子倉ダムのすぐ下流に只見ダムという小さなダムがあるせいで、
ダムの真下にも平地があって、道端からダムを見上げることができました。


ダム湖を巡って県境の六十里越へと進みます。
工事中で感知器付き信号に何度も止められたのには参りましたが、
急な斜面の高い所にへばりつくように道が造られ、
それが白いスノウシェッドで覆われているすがたはなんとも言えない奇景、感嘆の思いに捕われました。

中国三国時代の蜀へいたる道が非常な難所であったらしいですが、
まさに現代の蜀道といってもよいのではないかと感じました。

併走する只見線もよくこんなところに鉄道がというようなロケーションの中を走っています。
今回は列車と出会うことはありませんでしたが、
鉄道写真の好きな人なら撮影スポットが多すぎて困ることは請け合います。


山の中で時間を食ってしまったので、関越道小出ICから高速にのる前に日は大分傾いていました。
空に浮かんだ月はもう半月よりすこし太っていました。

金曜日にフェリーから見た尖った三日月が5日でこんなに変化することに戸惑いを覚えました。
高速で始めのPAから宿に遅れる旨を電話し、先日通った道を走り、
清津峡温泉YHに着いたのは午後7時20分でした。

ユースの宿泊者は一人、囲炉裏端で自動販売機から買ってきたビールを飲みながら、
鮎の塩焼き、ハンバーグなどの夕食を頂きました。


本日の走行720km/2510km





8月26日木曜日


朝7時宿の女将さんに見送られて清津峡温泉YHを出発しました。

間もなく長野県に入り、信州中野ICより上信越道にのりました。
このあたりはリンゴ畑が広がっていて、もう赤く色付いてきている実もありました。
長野市を通過し、更埴Jctより、長野道へ、岡谷Jctより、中央道へ進みました。

周囲は飛騨や木曽の山々が次々と大きな山塊を現わし、楽しく走っていました。

木曽駒ヶ岳の近くの駒ヶ岳SAでメールをチェックした時、
妻からのメールで大阪ー宮崎のフェリー欠航の連絡があったことがわかりました。

北海道滞在を1泊に減らして、フェリーの便を一日早くしたのですが、
大きな台風のため、海の荒れがひどかったのでしょう。

台風の進行具合もよくわからなかったので、とりあえず、中国道を西へ走ることにしました。
四国に渡っても大分間とのフェリーが欠航になったとき身動きが取れなくなったら困ると思いました。
予定外のことで中国四国のマップルは持ってきていなかったので、どこまで走れるのか考えもつきませんでした。



2時間おきくらいに、○○県を通過中というメールを妻に打ちながら西へ進みました。
励ましのメールを必要としている自分がいました。

広島北Jctを過ぎると、交通量も少なく、暗くなった高速道路を西へ西へと進みました。
このあたりの道路ではトンネル内だけ路面が濡れていました。

別に地下水が垂れているようすもないのに、どのトンネルも路面が濡れていました。
9時まで走ってそこで高速をおり、宿を捜すことにしました。

結局下関で高速をおり、駅へ向かって走り、港の前のプラザホテルに飛び込みで宿泊することができました。
NHKのニュース10で、台風の進路などの情報を得たあと、近くの海の見えるパスタ屋さんで夕食を頂きました。


本日の走行1055km/3565km

走りながら、宗谷岬に行けなかったこともかえって良かったと思いました。そのうち妻と訪ねることもあるでしょう。





8月27日金曜日


もうそろそろ帰ろう
帰らなくちゃいけない
僕が僕でいるうちに

もうそろそろ帰ろう
帰らなくちゃいけない
君が君でいるうちに





宿をでて、関門トンネルをくぐり、九州へ帰ってきました。
国道10号線に出て南へ、南へと走りました。

なぜか止まりたくなかったのでしょう、中津市の手前の道の駅しんよしとみで休憩したあとは休憩なしで走りました。
宮崎県に入り、日向市の金太楼寿司で昼食、広域農道を経て、西都市から高速道路で、宮崎市に入りました。
家の近くで、この旅の最後の、そして16回目の給油を行い、旅は終わりました。

本日の走行335km/3900km


おしまい!