青き青き空の下の出来事
著作・製作 Satohさん  Satohさんってどんな人?
2001年7月31日




7月31日(火曜日)


本日の走行距離 8km
 19時10分出港予定である。ガソリンを満タンにして、1時間前に乗船手続きを行う。

18時40分乗船。
5時頃まで雨を降らせていた雲の多い空は西にすばらしい夕焼けをつくって見送ってくれる。
遠い空はオレンジ色に、近い空はピンク色に光り送ってくれる。

出港は遅れ、オレンジ色もピンク色も消え去った19時30分であった。
12年ぶりの外洋フェリーである。
旅立ちとともに今後の人生を想う。

ゆっくりと港を離れていく船は持続的にその内燃機関を熱しつつ、次の朝には大阪港へと我々を運ぶ。
 
 フェリーというと必ず頭に浮かぶ詩がある。さだまさし氏の詩である。


  わたしフェリーにしたの。
だって飛行機も汽車も涙乾かすには短すぎるでしょ。

  でもさようならはまだ言わずにいいでしょ。
向こうのステイションホテルから電話をするから。

  最後の助手席で海岸通りを走る。
不思議ね、思い出にすればみなやさしいのに。

  わたしフェリーにしたの。だって飛行機も汽車も涙乾かすには短すぎるでしょ。


 自由と自己責任の旅に送りだしてくれた家族、同僚、バイク、バイク仲間に感謝する。










8月1日(水曜日)
  本日の走行距離 471.1km
  総走行距離   479.1km

 フェリーは0時頃まで呼吸と同じくらいのペースで揺れていたが、その後は揺れもなく、
朝7時45分、大阪南港かもめ桟橋に接岸、高速に乗って一路彦根城へ向かう。

 彦根城は琵琶湖に接した山の上にあり、2重に堀に囲まれ、この堀は港につながっている。

こうした城の常で入り口からは天守は望めない。
坂を上がって、道を回っていくと天守に達する。

天守は国宝天守4つ(姫路、彦根、犬山、松本)のひとつである。
見た目は3層で小振りであるが、
城全体の模型を見ると徳川家臣の中で最強の将として知られた井伊直政の城として恥ずかしくないものである。

琵琶湖の東岸にはこの城以外にも長浜、安土など有名な城が多く、当時重要な地点であったことがわかる。

 再び高速に乗ると10分で米原Jct、さらに20分で関ヶ原ICである。
米原は北陸本線と東海道本線が交わる駅で
映画砂の器で丹波哲郎扮する刑事が夜の米原駅ホームで乗り継ぎの列車を待つシーンがある。

思えばこの映画には鉄道がよくでてくる。

最初は殺人現場の東京蒲田駅、犯人と被害者が事件直前に交わした会話の中のズーズー弁の
カメダを手懸かりに捜査にいく秋田県羽後亀田、
そして犯人の恋人(島田陽子)が血のついたシャツを細切して列車から捨てる中央線、
犯人が少年時代にハンセン氏病のため療養所に送られる父を見送る島根県亀嵩駅。

30年前、旅の主役は鉄道であった。

 午後は暑く、シールドを開けると熱風が吹き込んできて息もできない。
1時間に1回休憩し、水分を摂りながら進む。

静岡を過ぎ、蒲原トンネルを出た時、正面に巨大な山が現われる。
おだやかな形ながらそそり立つというイメージである。富士山である。

 午後6時10分富士宮駅前のBHに入る。今日は長女の5歳の誕生日でお祝の電話を入れた。













月2日(木曜日)
  本日の走行距離 76.0km
  総走行距離   555.1km

 午前2時30分 起床
 午前3時10分 ホテル出発
 午前4時30分 富士宮口新5合目(2400m)より富士登山開始。
 午前10時30分 富士宮口富士山頂
 午前10時50分 富士山最高点富士測候所剣が峰到着(3776m)
 午前11時 下山開始。
 午後2時30分 富士宮口新5合目到着


 きつかった。もう登ることはないだろう
。富士山は登る山ではなくて、見る山、崇める山だ。

山頂では気圧が低く、持って上がったスナック菓子の袋はパンパンにふくれている。
上で飲んだペットボトルはホテルでは凹んでいた。

 富士宮市は焼そばを市の名物にしているらしく、町中に”う宮(ウミャ−)ヤキソバ”と書いた幟がたっている。
しかしヤキソバを名物にしないといけないくらいやはり寂しい街で
ホテルの近くの居酒屋さんでも水槽のクルマエビは上を向いてひっくりかえっていた。














8月3日(金曜日)
  本日の走行距離 168.4km
  総走行距離   723.5km

 午前9時富士宮駅前BH出発。
国道139を北上。山梨県に入った所が上九一色村。

県警の白バイとすれ違う。
たぶんtomopyさんではなかったと思う。

本栖湖、精進湖の脇を通って甲府へと向かう。
ここにある2つのトンネルは狭くて換気が悪く交通量も多いため、昔の国道加久藤トンネルのようである。
甲府が近づくと果樹園が多く今の季節であると桃がたわわに実っている。

甲府南から高速に乗る。
道の左には甲斐駒ヶ岳がみごとな姿をみせている。

右に見えるはずの八ヶ岳は雲に隠れている。
八ヶ岳PAでは千葉から来たAprilliaのriderと少し話した。
長野への一泊ツーリングだそうだ。

松本で高速をおり、昼過ぎにホテル池田屋着。

荷物を預け、歩いて松本城へ向かう。
途中創業明治10年という手打ち蕎麦弁天本店でざる大盛をいただく。
美味美味。


 松本城は平城で彦根城と違って入り口から天守が見える。
本来の城構造の中心部しか残っていないわけではあるが、国宝の天守は見事である。

知らなかったが、松本は1590年に石川数正が羽柴秀吉の命で入封したところであった。
この人はもともと徳川家康の家臣で武骨者の多い家臣団の中でもっとも知性派で、外交を任せられていた。


外交の過程で秀吉に引き抜かれたかたちになったのだが、その前から徳川家臣団ににらまれ、
その後も不遇の内に亡くなった。

山岡荘八の徳川家康の中では家康のために秀吉のもとへ入り込んだという解釈で話が進んでいく。
悲劇のヒーローである。


 ホテル池田屋は倉の町並みの残った中町にあり、3階のラドン温泉は24時間入浴可能である。
湯舟にゆっくり入れる風呂はツーリングにはとってもありがたい。












8月4日(土曜日)
  本日の走行距離 387.0km
  総走行距離   1110.5km


 午前5時30分ホテル出発。野麦街道を西へと向かう。
登山用のディパックを4個入れてトランクが閉らないまま西へ向かうタクシーとともに進む。

気温は22度。
途中の分岐点で多くの車は上高地へいってしまう。

ここを左へ折れ乗鞍高原へと向かう。
ペンション群を抜けてどんどん高度を上げていくころ気温は17度。
メッシュジャケットのうえにオーバージャケットを着て上がっていく。

乗鞍岳山頂近くではおそらく気温10度くらい、道の脇には雪渓が残っている。
おまけに10m先も見えないくらい濃いガスがでていて
車道国内最高地点2700mもどこかわからないうちに通ってしまった。

乗鞍スカイラインを下ってくると道ばたには紫色のホタルブクロなど
宮崎ではあまり見ない花々が咲き乱れていて美しい。


 高山市内をスルーして白川街道を清見村へと向かう。

飛騨清見で東海北陸自動車道に乗り南下。
高鷲ICから白鳥ICのわずか8kmの間で気温が27度から32度に上がり、
以後は1時間おきに休憩、水分補給を行いながら京都へ。

京都東ICで高速をおり京都岡崎の京都トラベラーズインへ到着は13時30分。
京都は暑い。

今日は一日で冬と夏を経験した感じ。

夕方に昨日宮崎をでた同僚の田中君と合流、ビールで乾杯。
明日はkuboさんとのランデブーである。









8月5日(日曜日)
本日の走行距離 435.8km
総走行距離   1546.3km

午前6時10分、同僚の田中君とともにホテル出発、
京都東ICより名神高速に乗り自分の影に引っ張られるように西へ進む。

吹田Jctより中国自動車道へ入る。
まもなく池田市、悲惨な事件で命を落とした子供達の冥福を祈る。

さらに西へ進む。気温は28度くらいで雲も多く快適に走る。
広島県に入り東城ICで高速をおり、北上。

島根県との県境はおろちループ橋という2重のらせん橋で半径200m、高度差170mである。
ループ橋より約30分で今日の目的地亀嵩に着く。

亀嵩のガソリンスタンドのおじさんがアイスキャンデーをくれた。

 宿に荷物を預けて亀嵩駅へ。
駅舎内のお蕎麦やさんは満員で待っている人もいる。

割り子蕎麦を2人前食べた。
黒っぽい不揃いなそばであった。

駅舎前で記念写真。
ついで砂の器ロケ記念碑の前で記念写真。
時代は流れて今の亀嵩に映画のイメージを追うことは難しいが
周囲の深い緑におおわれた山々は当時とあまり変わっていないのではないだろうか。


 亀嵩から約50分で月山富田城。同城は尼子氏の本拠地で、
したがって彦根城などより古い城である。

川に面した険しい山全体が要塞になっている。
建物は残っていないが十分その強固なつくりはみてとれる。

同城趾で広島のkuboさんとお会いし、宮崎からもってきたソテツの実の南男猿をわたす。

kuboさんも明日から九州へツーリングされるとのことで、
明日昼過ぎに萩市の明神池脇の食堂で合流することを約束し、お別れする。

 宿の亀嵩温泉玉峰山荘は町営で、今年春にオープンしたばかり。
かなり大きな施設で温泉も広い。

日帰り入浴のお客さんがいない夜や朝はゆっくり入浴できます。
食事もなかなか美味しく、一泊8000円くらいと手頃です。

さあ、いよいよツーリングも終盤です。

 










8月6日(月曜日)
  本日の走行距離 443.7km
  総走行距離   1990.0km


 亀嵩温泉玉峰山荘を午前8時出発。
斐伊川に沿って出雲市へ入り、国道9号を西へと進む。

時々あらわれる日本海を眺めつつ進む。

市街地は混雑しているが、それ以外はおおむね快適で出発から4時間で山口県に入る。

萩市明神池到着は午後1時15分。
道ばたにはkuboさんのBMと見たことのあるHDが止めてある。

いそ萬のお店の人が先着の人がいますよと話しかけてくる。
同店でkuboさん、hanajinさんと再会し、サザエ、イカ、ウニなどを用いた明神池定食をいただいた。

 ここからはhanajinさんの先導で秋吉台のカルスト台地を越え、美祢ICから中国自動車道へ。
壇の浦PAで休憩、関門海峡ごしに対岸をながめ、やっと九州まで帰ってきたと思う。

間もなくhanajinさんとお別れし、3台で福岡へ。
博多駅付近でkuboさんともお別れし、博多シティホテルへ到着。

博多市内は混雑しており、博多駅前の信号待ちで立ちごけしそうになった。ヒャ−ー。

 ホテルでちょっと休憩。テレビを見ていたら、今日山陰の海岸ではシュモクザメ出現で大騒ぎだったらしい。

多少は混雑が少なかったかもしれない。
 田中君と360°へ。出迎えてくれた皆さん、ありがとうございました。










8月7日(火曜日)
  本日の走行距離 311.2km
  総走行距離   2301.2km
  総使用ガソリン 108.88l
  平均燃費    21.1km/l


 ホテルを9時40分出発。自宅に14時50分到着。
休憩をとりながら高速を進んだが、だんだんと休憩が長くなってくる。

楽しいツーリングだった。待っていてくれる家族がいることがとってもありがたい。



 ”青き青き空の下の出来事”は井上陽水の結詞からとりました。
歌詞をもってツーリングレポートを終わりたいと思います。




  浅き夢 淡き恋
  遠き道 青き空

  今日をかけめぐるも
  立ち止るも
  青き青き空の下の出来事

  迷い雲 白き夏
  ひとり旅 永き冬

  春を想い出すも
  忘れるも
  遠き遠き道の途中での事

  浅き夢 淡き恋
  遠き道 青き空

おしまい!