空と海と
著作・製作 Hanajinさん Hanajinさんってどんな人?
2002年7月31日スタートは降ったけど、あとずーっと晴れ!
その1
さんざん迷ってボンネで行くことにした。
荷物を全て積むと、ウェストバッグまで含めて、5つになった。
4泊5日の旅。
といっても一泊目は船中である。
職場まで乗っていったボンネの所に何度も足を運んでは、荷物をもっと減らせないかと考えてみる。
一番重いのは工具だ。
嵩張るのはカッパとシートカバー。
これは置いていこうと何度も考えた。
しかし、サイドバッグが一つだとバランスが悪いし・・・。
割り切って工具類を置いていけば、シートバッグとタンクバッグ、それにウェストバッグで事足りるような気がして、
一度詰め替えてみた。
(なんて暇な職場なんでしょう!)
入る!でもなぁ、工具は要るよなぁ、なんて考え始めると、カッパもシートカバーも要るような気がしてきて、
結局汗だくになって時間が無駄になっただけだった。
元通り荷物は5つ。
しかし、じっとしていて落ち着かないよりも何かをしていた方が、
出発前のあのなんとも言えない高揚感を押さえきれるというものだ。
勤務時間が終わって、出発の準備にかかる。ジーンズを穿き、Tシャツを換える。
ボンネの所まで降りて、ブーツを履く。
ボンネに向かって、「よろしく頼むよ」と心の中で呟きながら910ジャケットを羽織る。
シャワーを浴びて、せっかく汗を流したのに、ほんの5分で汗は滲み出る。
ジャケットの下はもう湿っている。
これから始まる猛暑との戦いが思いやられる。
だが夏のツーリングの醍醐味をそこに見いだせなければ、
行かない方が良いのだと自身を納得させながら小倉から新門司へ。
黒川トンネルを抜けて右折しようとすると、後ろからmotoさんが迫ってきた。
20年来のバイク友達である。
最近zrxからホーネット600Sに乗り換えた。
私より上なのに早いバイクがまだまだ好きなようで、峠のくるくるでは一番有利なバイクを選んでいる。
「何ね、後ろから見て、暑苦しそうな色のジャケットを着たやつが走っとると思うたら、あんたやったんか。」
motoさんが私に並んで、開口一番に言った。
夏でもトータルコーディネートが大事なのだ。
ジャケットの色に合わせて、ジーンズも黒。ブーツも黒。
ついでにヘルメットも、と思ったが、やめた。
夏は何を着ていても暑い。開き直りが大切だ。
nyantaさんの秘密基地の近くを左折して、フェリー乗り場へ。
何台か航走するバイクがすでに足を休めている。
見慣れたあっちゃんのAX1もでっかい荷物に埋もれて静かに佇んでいる。
手続きのために二階に行くと、あっちゃんがいた。
思わず破顔一笑。
これからだね、と心の中で呼びかけながら。
あっちゃんはいつもそうだが、何事にも気負いが感じられない。
淡々としている。(ようにみえる)そこが彼女のいいところかな、といつも思う。
手続きに車検証は必要なかった。
たった40ccオーバーのために少し余計に料金を取られたが、
車検証を見ないなら、749ccと言っておけば良かった。
手続きを終えて、航走目的地を書いた紙を貼りに下りると、tomoさんとnyantaさんが見送りに来ていた。
nyantaさんはビールを提げて来てくれていた。「でも持ち込み禁止ですよ。」といいながら。
それじゃぁ、ということで道端宴会が始まる。
2本目を飲み干した時、kittyさんが到着した。
5時に勤務を終えて、高速で駆けつけた。挨拶もそこそこにkittyさんは乗船手続きに向かう。
その2
kittyさんが戻ると、早々に乗船係員がバイクを積むようにと言ってきた。
ビールを飲んでほろ酔い加減になっているが、道交法に違反しないかしら、などと思いながらエンジンを掛ける。
乗り込んで、要らない荷物はそのままにして上がろうとすると、あっちゃんが荷物を解くのに手間取っている。
相当の量だ。
マットまで持ってきている。
どこで敷くのかしら、などと思ったが、思う前に手伝ってやれよ、とあとで反省。
あっちゃんが両手に荷物を持って階段を上がろうとすると、さすがフェミニストのkittyさん、
階段を下りてきて、重い方の荷物をさっと持ってあげる。男はこうでなくちゃ、と思ったが、もう遅い。
ここでマイナス1点。
船の中はがら空き。kittyさんは早速NYへ。あっちゃんは新品のシートを広げ、空気を入れている。
嬉しくて仕方がないふうだ。
子供ってそうなんだよなぁ、新しいものを手に入れるとすぐに試したくなるんだよなぁ、
なんて思いながら、色々とからかう。
motoさんやkittyさんも茶々を入れる。
そんなおじさんたちを軽くいなしながら、自分の寝床を完成させる。
それから落ち着いて酒宴に加わる。
広い所を4人で占領して早速宴会が始まる。
おのおの隠し持った食べ物を広げ、ビールを出す
kittyさんのクーラーボックスからは酒まで出てきた。
この時、まだ心優しきnyantaさんたちが外で私たちが顔を出すのを待っていたなどと知る由もない。
ごめんなさいnyantaさん、tomoさん。埋め合わせはこの次にきっとしますから。
徳島航路に乗るのは3回目。
最初は息子と2人。次は1人。
今回は4人だ。
これから始まる四国ツーに胸は満たされている。
何の話をしたのか、今となってはおぼろげで少ししか思い出すことも出来ないが、
kittyさんがアメリカ育ちであることを聞いた。
そういえば何となく、なんて思ったりした。
7時から飲み始め、下の自動販売機の横に場を移して、止めどもなく次々に話題が出る。
さぁ寝ようかと言ったときにはすでに8月になっていた。
その前にmotoさんは椅子に座ったまま、転げもしないで寝息を立てている。
揺り起こすと目が覚めたようだったので、階段を上がって帰ろうとすると、motoさんがついてこない。
後戻りするとそのままの姿勢で眠っていた。ここであっちゃんの力を発揮する時が来た。
寝たままのmotoさんの背中をキックすると、もとさんはそのままキックの勢いで、
2階まで駆け上ったのでありました。
なんて、嘘ぴょ〜んですよ。前の「ここで〜ありました」までを次のように訂正願います。
「あっちゃんの優しいささやきに、にこりと笑い、自ら立ち上がろうとしたが、
そのまま頽れて仕方がないので三人で両脇と後ろから支えながら階段を上ったのでありました。」
4人ともそのまま深い眠りについたのでありました。
次の日一番早く目覚めたのは私でした。
5時半には起き出して、乾いたのどを潤しに階下の自販機の所へ。
テレビの前の椅子に陣取って、天気予報を見る。
どこも35度近くまで気温は上昇するらしい。暑いツーリングの始まりだ。
そのうちに四国の太平洋岸が見え始めた。 |
|
その3
船から下りて、道を横切った所にまゆさんは待っていてくれた。
もうとっくに30度は超えているだろう。まゆさんの色白の顔に大粒の汗が浮かんでいる。
まゆさんとは九州で2度お目にかかったが、いずれも飲み会ばかりで、
こうやってバイクに乗る姿を見るのは初めてだ。
きちんとジャケットを着込んでいる。
「暑いね!」
これが私の最初の挨拶だった。
言っても暑さは治まらないのだが、言わずにはいられない。
あっちゃんが下りてくるのが遅い。
荷物を積んで今にも出そうな様子を確認して、私は下船したのだが、と思っていると、1分後ぐらいに下りてきた。
「足が荷物のネットに引っかかって、係員の人に外してもらってたら、遅くなって・・」
あっちゃんの言葉。その姿を想像すると笑いそうになったが、ぐっと押さえた。
徳島市内へ向けて出発。
以前車で走ったことのあるコースを辿る。
三叉路で左折。以前は右折した。大きな道から小さな道へ。
眉山方面に向かった。まゆさんのマンションに着いて要らない荷物を置く。
予想通り市内は混んでいた。いつ行っても同じだ。
以前も車で買い物に出て、ひどい目に遭ったことがある。
県庁所在地だから仕方がないのだろうが
、四国は県庁所在地以外は道路はがら空きという印象を今回は特に強く持った。
内抜き外抜きで交わしながら進む。汗だくだ。
吉野川を渡ると急にスムーズに走れるようになった。
目指すはcb750fakaiさんが待つ鳴門公園。
11時の待ち合わせだから、時間的にはぎりぎりだろう。道を急ぐ。
途中、少し迷ったが11時7分ごろ公園に到着。
kaiさんは坂道にCBを止めて待ってくれていた。
挨拶もそこそこに駐車場にバイクを入れ、せめて渦潮でも見ようということになり、歩き始める。
kaiさんは足が速い。
私たちがバイクを離れようとしたときにはもう展望台に続く階段を登り始めていた。
これには訳がある。
このあと高松西インターで13時にpapaさん、なかさん、ぽんたさんと待ち合わせているからだ。
案内をする立場として、時間が気になっているからだった。
急いでkaiさんのあとに続く。
暑い日差しの中、昨夜の飲み疲れが残る体には、応えた。
心臓が飛び出すのではないかと思いながら、
若さのバロメーターだ、へこたれてはいけないと思ううちに眼下に鳴門海峡が見えてきた。
残念ながら、渦潮は終わりがけなのか始まりなのか分からないほどの輪がゆるく渦巻いているだけだった。
数枚の写真を撮り、階段を下る
。kittyさんとまゆさんは来なかった。
多分ケーブルで上まで行っているのだろうと思い、休憩所で飲み物を摂る。
「11時半には出発しないと、13時に高松西は厳しいですね」とkaiさんが言う。
kittyさんに電話を入れると下に行っているということだった。
高松に向けて出発することを告げる。
kittyさんたちは大阪から来る友達と落ち合って昼食を食べて徳島に戻り、
私たちのために晩飯の準備をしてくれる予定になっている。
よろしくお願いして私とmotoさん、あっちゃんはkaiさんのあとに続く。
鳴門から高松方面に抜ける県道183号は素晴らしい眺望の開ける道だ。
特に小鳴門橋の辺りが素晴らしい。
崖下の両側に海が見える。
とことことゆっくり眺めながら走りたい場所である。しかしあまり猶予がない。
kaiさんとmotoさんがすっとんでいく。
これは付いていけないや、と思ってあっちゃんの後ろ姿を見ながらマイペースで走る。
四国の海は穏やかであった。
その地方地方によって、海も山も表情を変えるが、香川県に入ると山さえも穏やかな顔を見せる。
豊かな稔りを約束してくれているような平野と緩やかな稜線。
豊饒な瀬戸内の海の恵み。
それに正比例するように、人々の性格は穏やかなのだろうか。
追い越し可の道路でものろのろ運転の車を追い越そうとする車はいない。
取り締まりが厳しいのかな、と思いつつ走る。
高松自動車道に入る。
ここは追い越し区間が所々に設けられている一車線道路であるが、
車が少ないのでかなりのペースで走ることが出来る。
一気に高松市の東側に到着。
ここで自動車道を下りて、市内を抜けなければならない。
建設途中の高速の高架の下をだらだらと走る。
アスファルトの照り返しと排気ガスの熱気。
めまいがするほどだ。
右折すると栗林公園、左折すると金比羅さん。
誰でも知っている有名な観光地だ。
だが今回の予定には入っていないし、この暑さではその場所に行っても歩き回る気など起きはしない。
看板だけを横目で見ながら、渋滞の中を進む。
やがて高松西インターの看板が見えてきた。もうすぐだ。 |
|
その4
全く知らない土地で旧知の人たちと巡り会うことは、奇妙な感覚をもたらすものだ。
そこに行けば必ずいると分かっていてもだ。
すでに3人は到着していて、写真を撮りながら出迎えてくれた。
3人とは言うまでもなくpapaさん、ぽんたさん、なかさんだ。
私たちを案内してくれたkaiさんとなかさんはオーバー30を通じての知り合いである。
人と人のつながりがどんどん広がる。嬉しいことだ。
挨拶もそこそこに、というか改まった挨拶はお互いに必要ないのだが、
面白いことがあったとpapaさんが話し始める。
そのコンビニに着いたとき、いかにもそれらの方と分かる黒塗りの車と鉢合わせになったらしい。
その人たちは他の方を待って挨拶をしたそうだ。
それがpapaさんを出迎えているように見えたとういことだが、こちらはどきどきしてしまったというような話だった。
文章にすると、あまり面白くもないが、papaさんの好奇心あふれた語り口を想像して補ってやってください。
ぽんたさんとなかさんは初めて一緒に宿泊ツーに同行する。
そういえばあっちゃんもそうだし、kittyさんもそうだ。
特にぽんたさんとは長距離を一緒に走るのは初めてである。
同じ釜の飯を食う、とは軍隊のことをいうのだろうが、一回でも一緒に泊まると、人間同士の垣根は低くなる。
さて、これからのつきあいが楽しみである。
ほんの少しの休憩の後に、今日のメインである「○もううどん」に向かって出発。
二つの渋滞を経験した我々にとって、それからの道は快適だった。
大きな通りから、いきなり右折。
工事中のためまっすぐには行けず、迂回してバイクを止め、まるでタイムスリップしたような田圃の中の農家に到着。
そこが目指すうどん屋だった。
四国は水の国だなぁとどこに行っても思ったが、ほんの小さな水路にも滔々と水は流れている。
まだ水が水のまま生きている証拠だ。
私の住んでいる所も田舎だが、清潔感というか清浄さというか、そのようなものが失われて久しい。
私は30年前、いや私が少年だった40年前の風景を思い出してしまった。
それぞれの丼を抱え、大か小かを言う。
みんな大にした。あっちゃんは大のダブル。そこに入れてくれた麺に具を載せ、つゆを注ぐ。
つゆは熱いの、冷たいの、それと生醤油のようなものが入ったポリタンのなかから好みで選ぶ。
四国に行ったら生醤油で食べてみたいと思っていたのだが、そこが私という人間の優柔不断さ。
あまりの暑さに、冷たいスープを選んでしまった。
あとで考えると、小を二つ頼んで味付けを変えてみても良かったのだが。
具を2つ載せ、つゆを注いで計算してもらう。320円だったと思う。
それほどやすいとは思わなかった。
外に出て木陰の縁台に座って食す。
味は・・・。まぁ、いいか。私はグルメではないので・・・。
美味しかったとだけ記しておこう。
横を見ると、日差しがカンカン照りつけているテーブルに着いて、papaさんがうどんを食べている。
「冷たいのにしたんですか」と聞くと、「いや、暑い時は熱いもんを食べな!」といって美味しそうに食べている。
いままで何度かpapaさんとは昼食をともにしたが、
うどん以外のものを食べているのを見たことがないような気がする。
うどんが好きなんだろうなぁ。音フェチで、うどんフェチ。(失礼、怒らないでね)
このまま木陰で眠りたいという欲望に抗いながら、再びバイクのもとに。
これから五色台高原に向けて出発だ。 |
|
四国ツーレポ4の一部分に誤りがありましたので、訂正するとともに関係者の皆様に、深く深くお詫び申し上げます。
「あっちゃんは大のダブル」ではなく、「あっちゃんは小」でした。
でいいですか?
その5
「霜白く露白妙の寺のうち 御名をとなうる法の声々」
五色台(紅・黄・青・白・黒の五色から名が付いたと言われる)の白峰寺に詣でることにした。
四国八十八ヶ所の81番札所だ。
四国に来たのだから、一つぐらいは行きたいというあっちゃんの要望に応えるためだ。
私もそう思っていた。
一番札所に行って、巡礼セットを買いたかったのだが、
時間的にそれは無理だったので、せめて、ということでもある。
まぁ、霊場巡りはvulcanさんやkuboさんと来年辺りから始めたいと思ってはいるのだが・・。
本当なら歩いて巡礼するのが一番なのだろう。
このツーリングの途中ではあちこちで巡礼を見た。
バイク乗りにはバイク乗りの巡礼の仕方があってもいいよなぁ、と思いながら彼らの姿を見た。
いずれにしてもお札を納めなければ正式のものとはならないのだから、我々はただの観光だ。
白峰寺は崇徳上皇の御陵のある寺だ。
格式はかなり高い寺であるようだ。
高松藩の初代藩主、松平頼重(水戸黄門の兄)が建てた客殿や庫裡などが残っているという。
(我々は見ていない)また彼は、寺領を寄進したり、堂宇を建立したりしている。
ここで崇徳上皇の遺体が荼毘に付され、埋葬されたということであるが、
不遇のうちに崩御された上皇を悼み、源頼朝が万基の石塔を寄進したという記録も残っているという。
西行もここを訪れたらしい。
書き出せばきりがないほど、由緒ある寺なのだが、何の下調べもなしに行った我々には、何も分からない。
ただただ煩悩の一つでも無くしていただければ、ぐらいの気持ちである。
背中に背負った重たいものが一つでも軽くなれば、などという不謹慎な仏頼みである。
まぁ、みんな神妙な顔で拝んでいたということにしておこう。
私も証拠写真を撮られたが、背中の辺りに何か写っているんではないかと思う。
罪深きもの、それは人間!
また改めて、参詣させて頂きます。お札を納めに参ります。
その6
白峰寺は五色台スカイラインの麓にある。
しばらく上ると、スカイラインに入る。快適な道だが、展望は開けない。
ワインディングを下っていくと展望台に出た。
そこからの眺望は素晴らしかった。瀬戸大橋が遠くに見える。
これで今日一日で2つの大橋を見たことになる。
風が強い。遙か下の海面を行き交う船は動いていないように見える。
やはり瀬戸大橋の料金は高い、とか花火があるときにはここからの眺めはいいだろうとか、
そんな話をしながらしばらくくつろいだ。
五色台からは美馬に向かう。
先頭はもちろんkaiさん、そのあとをmotoさん、そしてpapaさん、快適な道だ。
県道17号線。私は置いて行かれる。
その後をあっちゃんとなかさん。
なかさんはあっちゃんを見守ってくれているようだ。
先行の3人が全く見えなくなってしばらく行くと「首切峠」という何やら怪しげというか、
いわくのありそうな不気味な名前の峠があった。
その峠を越えて少し走ると、先行の3人が休憩している。
と思った。
待っていてくれたんだな、と思い、空き地にバイクを寄せると、少し様子が変だ。
よく見ると、ぽんたさんのバイクに異変が・・・。どうも転んだ様子だ。
「怪我は?」と最初に聞いた。
ぽんたさんは冷静に答える。これなら頭は打っていないな、と思う。
「20年振りにこけましたよ」と苦笑い。
そこはゆるいカーブで、普通ならこけるようなところではない
。少し先に横断歩道があって、おばあさんが渡ろうとしていたようだ。
先行の2人は止まっていた。対向車線のトラックも止まっていたようだ。
ぽんたさんも止まろうとしてブレーキを掛けた瞬間に、前輪が滑ったということだった。
見ると、菱餅型の道路のペイントの上に、黒いスリップ痕が残っている。
そこから対抗車線にバイクのすべった痕が10メートルほどついている。
「トラックが動いてなくて良かった、動いていたらバイクはぐしゃぐしゃになっていたよ」
幸いにもぽんたさんは左車線を滑ったらしく、トラックにもぶつかっていなかった。
道路をうつぶせで滑る瞬間、後続のpapaさんと目が合ったという。
あとで冗談めかして「papaさん、あの時笑ってたでしょう?」とぽんたさんは言っていたが、
本当かどうかは、山口ツーの時、確かめてくださいね。
それはともあれ、目と目があったその日から、ぽんたさんとpapaさんは深い恋に落ちたのでありました。
膝と肘と腰にすり傷。あばらも痛いようだ。
病院に行った方がいいんじゃない?と言うと、どうせ病院に行っても、あばらは何の治療もしませんから、
と平然としている。前にも折ったことがあるそうだ。
ジーンズに風穴が空いている。「暑いからちょっと空けたんですよ」とぽんたさん。
かなり痛いのを我慢しているようだ。
しかしうまいこけ方をしているなぁと感心した。ヘルメットにも傷はない。
「新品だから傷をつけないように一生懸命だったですよ」とぽんたさんは言う。
チタンのマフラーにも全く傷はない。
右側にこけていたら痛みが倍増ですね、と冗談を言う。
そういう冗談が言えるのはぽんたさんの人柄の良さであると思った。
「これからHNを変えます。菱形ぽんたにします。」などと冗談を言いながら、応急修理。
針金とテープは本当に役に立つ。つい先週も針金を使った。
このツーにも必需品だとpapaさんが冗談めかして書き込みをしていたので、一昨日探して携行していたのだった。
テープはmotoさんが持っていた。
その7
みんな菱形を用心するようになった。(もしかして私だけか?)
それだけではない。道路に描いてあるペイントの部分の全てがなんか忌まわしい。
これは四国から帰って一週間になる今でもトラウマとなって残っている。
今日も大観峰まで行ったが、雨の中では特に怖い。
マンホールと鉄板とペイントと浮き砂はこける要因の大きなパーセンテージを占めているのではなかろうか。
ともあれ傷ついたぽんたさんとともに、国道438号を美馬に向けて走る。
前にも書いたが、四国の道は県庁所在地を除けばほぼ快適に走れる。ほどなく美馬インターへ。
わざわざ休暇を潰してまで我々を案内してくださったkaiさんともここでお別れである。
九州に来られたときにはこちらがお返しをしなければならない。
これが仲間の素晴らしさである。いつでもおいで下さい、歓迎します、という言葉をかけて徳島道へ。
徳島までは一時間もかからなかったと思う。
しかし下道に入ってからの渋滞を思うとうんざりする。
近道はなさそうなので国道11号を進むしかない。
吉野川を渡り、県庁前を通過し、すり抜けすり抜け二軒屋駅の方へ右折。
一度走ったはずなのに、分からない。
motoさんがGPSを見ながら先導する。頼りになりますね。
二軒屋駅に着きました。ほっと一息する暇もなく、kittyさんに無事(?)着いたことを電話で知らせる。
結局papaさん、motoさん、ぽんたさん、なかさん、私の5人がビジネスホテルに泊まることになった。
あっちゃんを迎えにまゆさんが来てくれた。
ライダー姿とは違ったワンピース。これもまた清楚でいいですねぇ。
7時にまゆさんのところに行くことにして、それぞれ部屋に入り、シャワーを浴びて身支度をする。
私は愚息に電話して駅まで来るように指示。
そのあとシャワーを浴びるが、値段の割りに古くて清潔感に欠けるホテルだった。
それよりも洗面所のカランの辺りから何となく不気味な音がするのが気色悪い。
今夜は酔っぱらって寝るだけだからまぁいいか、と思い、
せめて冷房だけでも効かせようとしたが、あまり効かない。
これはEランクのビジホだなぁ、と思いつつ身支度を整える。
息子からの電話が入った。二軒屋駅に到着したという。
すぐに部屋を出て2階に行くと、すでにpapaさんが支度を整えて待っていた。
アロハ〜という感じの服装。
すっかりリゾート気分のようだ。papaさんは何に関しても気が早い人のようである。
だいたい夜中の3時か4時には「久住」に「おはようございます」の書き込みがあるくらいだから、
推して知るべし、である。
7時になると皆揃った。まゆさんの所まで、徒歩で行く。
じつはpapaさんはこの時すでにビールをすこし召していたらしい。
このことが次の朝のトラブルに結びつこうとは、誰にも想像だに出来なかった。
ぽんたさんが薬局に行くと言った。
やはり痛みが我慢出来ないようだった。あばらである。
傷の方はあっちゃんが持っていた絆創膏で押さえていたが、
打ち身とあばらの痛みはかなりのものだったのだろう。
エアサロンパスを買った。その場でシューッ・・・。これが後日どれほど役だったことか。
ちなみにmotoさんは胃薬を買った。飲み過ぎである。
その8
次々と料理が運ばれ、次々とビールの缶が空く。
昼間の乾きを癒すためにはどれほどのビールが必要なのだろう。
濃縮された一日が皆の体に詰まっている。
三度の渋滞を抜け、二つの大橋を見、うどんを食べ、高速を走り、岬に立ち、新たな出会いをし、別れ・・。
何から先に話題にしていいやら分からないほどに次々に話は弾む。
それを彩る料理の数々。中華料理はkittyさん、イタリア料理はまゆさん。
どれも旨い。だが、スパゲッティ(かな?)で一度火を吹いた。
皆は辛くないと言って平然と赤い唐辛子を食べている。私は香辛料過敏症なのだろうか?
一番の話題は・・・、そうです、分かりますね。その模様を目撃者のmotoさん、ぱぱさんが説明する。
motoさんが最初にバイクを飛び降りて火事場の馬鹿力で引き起こしたこと、
papaとぽんたさんの目が合ったこと・・。
ぽんたさんの痛みはまだまだ治まっていないだろうが、笑い話に出来ることを喜んで良いのだろうと思いながら、私も茶化して話に入る。
ぽんたさんが見せる左膝のまあるい擦り傷を、ぱぱさんが「可愛い」といって撫でる。
ぱぱさんの愛情表現である。
九州トピのキャンプ以来、papaさんはぽんたさんがお気に入りらしい。
だが、見ると本当に、数ある擦り傷の中で、それが一番愛らしかった。
あとの話になるが、ぽんたさんが家に帰り着いて、姪に見せたら、
やはりその傷が一番可愛いといって撫でたそうだ。
kittyさんの携帯が鳴った。osaruさんの到着だ。
新たな出会いである。
kittyさんが5月に徳島に来た時に初めて会った青年だ。
その縁で私も彼のトピに書き込むようになった。
osaruさんは想像通りの青年であった。
kittyさんのフォトアルバムでその容姿はだいたい分かっていたし、
メッセンジャーでも話したことがあったから、初めての出会いのようには思えなかった。
osaruさんは一滴も酒を飲まない。生コーラで酔える体質の人である。
ほんの数分で皆に溶け込む。さっぱりした性格である。
ホテルの門限の11時が近づいた。電話を入れる。
カウンターに鍵を出しておきますから、自分で取ってお入り下さい、との返事。
ということは、誰でも入れるということか・・・、
などと頭に思い浮かぶが、そんなことはどうでも良くなっていた。
ともかく明日は8時半に出発と言うことだけを決めて、まゆさんの所を辞去した。
部屋に戻り、タイマーをセットして寝に着く。
最近はタイマーより早く目が覚めるという得意技を身につけたので、便利だ。
次の朝は7時にブザーが鳴るようにしていたが、その10分前に目が覚めた。 |
|
その9
洗顔代わりにシャワーを浴びる。
出てみるとkittyさんからの着信。
朝ご飯まで準備して下さっているとのことだった。
早速他のメンバーに電話して、8時にホテルを出ることにする。
papaさんに連絡を取るが「ただいま運転中で電話に出ることができません」という返事。
そうなんです。早起きpapaさんは鳴門の渦潮を見に行ったんです。
何時に出たのかは謎。
昨日高松で合流したので、鳴門には行っていない。
せっかくここまで来たのだから、行かない方がおかしいですよね。
また5分後ぐらいに電話。同じ返事。
8時まで待ってkittyさんの所に行こうということにした。
出発時間は8時半にしているのだから、それまでには連絡があるだろうと思ったからである。
バイク置き場に行って、エンジンを掛け、ホテルの前まで移動。
荷物を括り付け、身支度を整えると8時になった。すでに汗だくである。
まゆさんのマンションまで行って、裏にバイクを止める。
玄関まで行って気づいたが、まゆさんのバイクはもちろんのこと、
あっちゃん、osaruさん、kittyさんのバイクもみんなマンション付属のオートロックの扉の向こうにある
駐輪場に入っている
。その駐輪場に入るためには階段に直角につけられたスロープを利用するしかない。
それもとても狭いのである。
ここの出し入れはどうやるんだろう、と考える。
オフ車なら階段を上がればいい。しかし、Wを入れるのは大変だろうと思う。
そんなことを考えていると、まゆさんが階下まで迎えに来てくれた。
朝食はホットドッグとコーヒー、ジュース、牛乳。
とても美味しくて、2本も食べてしまいました。
約束の8時半になった。再度papaさんに連絡を入れる。まだ走行中らしい。
もしかして神戸まで行ったんじゃない?などと誰かが言う。
う〜ん、papaさんならありうることだと誰もが思っている。
papaさんのバイクの音がした。来た、と思って様子を見に行ったが、下の駐車場にはバイクはなかった。
来るまで待とうということにして、コーヒーのお代わりを飲む。
9時になろうとしている。また電話する。まだ走っている。
焦っても仕方がないが、もし事故に遭っているとしたら・・・。不吉な予感も頭を掠める。
するとpapaさんからの連絡。「今眉山の展望台にいます。景色がいいですよ!」papaさんらしい。
さっそく出発することになったが、バイクを出すだけでも、一苦労であった。
osaruさんはアメリカンであるにもかかわらず、そのまま階段を下りた。あっちゃんも下りた。
そのあとWを出す。入口がハンドルより狭い。車体を斜めにし、尻をずらし、じりじりと進んで、エンジンを掛け、斜面と階段の境目に前輪を乗せ、じわじわと下りる。
これは熟練の技です。同じようにまゆさんのバイクも道に下ろした。
眉山までは10分ぐらいだったと思う。
展望台の下の駐車場に行くが、papaさんのバイクはない。
また行方不明になったかな?と思い、私が狭い山道の方まで見に行った。
そこは行き止まりになっていて、そこにもpapaさんはいなかった。
もしかしたら上の方にもう一つ駐車場があるのかもしれないと思い、
ともかく展望台まで行ってみようということになった。
歩き始めようとすると、下から聞き慣れた音。ようやくpapaさんと巡り会えた。
違う方の展望台に行っていたという。
そちらの方をみると、確かに高台があって、眺望は良さそうである。
そこにいると我々のバイクの音が聞こえたのでこちらに駆けつけたという訳である。 |
|
その10
実はpapaさんは朝、まゆさんの所まで来ていたのである。
あのエンジン音は、papaさんのバイクのものだったのである。
papaさんの話を聞くと、8時半にホテルに帰ってきて、見るとみんないない。
携帯を見ると私からの着信が5回。そこでまゆさんのところを目指したが、昨日歩いた道を全く覚えていない。
そう、すでにビールを聞こし召していたからである。
仕方なく、昨日みんなが「明日の朝はまず眉山に行こう」と言っていたのを思い出して、
ここまでのぼってきたという訳である。
眉山からは徳島市内は勿論、吉野川、鳴門方面まで一望できる。
昨日走った道も遙か下方にうねっている。
30分近くその眺望を楽しんだり、写真を撮ったりしたあと、室戸に向けて出発した。
徳島から室戸までは国道55号で130キロ余り。渋滞も考えれば3時間だろう。
眉山から下りて、国道55号に。小松島、阿南と車が多い。
バイパスに入り損ねて、旧道を進む。阿南市を抜けたところで休憩する。
水分補給だ。あと2時間くらいは覚悟しなければならない。
海に近づく。次から次へと新たな海が見えるが、日南ほどは崖が切り立っていない。
しかし快適なワインディング。
途中、夫婦岩というところで休憩する。
崖崩れで立ち入り禁止となっていて、ロープが張られている。
少し興ざめだった
。kittyさんは下まで下りてこずに暑い日差しの中で佇んでいる。
「バイクの番をしてくれとんのや」と誰かが言う。
バイクの所に引き返して真意を問うと「また上がって来るのがしんどいからここで待っとったんです」という。
賢い選択か?
海岸際を走り続ける。もう一度眺望の良いところでバイクを止めた。
室戸まではあと30キロぐらいだったろうか?
室戸の町に入ると、高い堤防で海が見えなくなる。
これは室戸台風の教訓から堤防を高くしたものと思われる。
曖昧な記憶だが、津波で5000人以上の命が奪われたのではなかったか。
いくつもの港を過ぎて、いよいよ室戸岬に着いた。
まず、銅像が目に入ってくる。中岡慎太郎の銅像であった。
言うまでもなく、坂本龍馬とともに命を落とした革命の志士である。
なにかここと縁があるのだろうかと思ったが、確認しませんでした。ごめんなさい、慎太郎さん。
室戸岬を一言で言うとすれば、あっけない岬、だ。
九州最南端の佐田岬は駐車場からいやというほど歩かねばならない。
それに比べると、歩いて3分ぐらいか。
慎太郎さんと記念写真を撮り、しばし浜で波と戯れたあと、昼食の場所へ向かう。
papaさんは昨夜から何も食べていないので、特に腹が減っているはずだ。
「道の駅きららメッセ室戸」の横にあった鯨料理を食べさせるレストランに入る。
私はねぎとろ丼半分というやつときつねうどんを食べる。
osaruさんも同じメニューを頼んだ。
あっちゃんは鯨のフライ定食みたいなものを食べていた。
ここでもpapaさんはうどんを食べていたような気がするんだけど、どうだったかなぁ?
名前は覚えていないけど、まゆさんが食べていたのが一番旨そうだった。
まぁ、旨い旨くないは別にして、鯨を食べておけばよかった、と少し後悔。
うどんの味ですか。そうですね。○トキチの冷凍さぬきうどんと同じくらいでした。
ここでまゆさんとお別れです。
一日半という短いお付き合いでしたが、本当にお世話になりました。
一年前には全く知らなかった人とこうして走り、食べ、飲み、笑い、共に汗だくになりながら走る。
これが出会いの醍醐味ですね。
人生の中で一番嬉しいのは人との出会いである。これは受け売りですが、本当です。
また会う日までお互いに元気でいましょうね!
まゆさんとkittyさんに見送られて、残りのメンバーは一路高知へ。 |
|
その11
何とか岬というのは室戸岬だけではないのは当たり前だが、室戸を過ぎていくつもの「〜岬」の標識がある。
四国の太平洋側。この海の対岸はアメリカ大陸である。
漕ぎ出した舟が海流に乗れば、対岸へ流れ着くことだってあるだろう。
ジョン万次郎のように米船に助けられてアメリカに渡った人も、知られていないだけでまだまだたくさんいるだろう。高知の海を見ていると、波濤を恐れないで漕ぎ出していった人々の気構えのようなものが今も感じられる。
安芸市に入った。「アイスクリン」という幟が時々店先にはためいている。
これは四国で是非食べてみたかったものの一つだ。
バイクを止める場所がないところをやりすごして、ようやく広い空き地のあるところに止まった。
急に止まったので、他のメンバーは少し面食らったかもしれない。
小屋掛けの店先でそこのおばちゃんと話しながらアイスクリンを舐める。
シャーベットをコーンの中に入れたようなもので、私の想像とは違っていた。
棒についたアイスキャンデーのようなものだろうと思っていたのである。
日陰で涼みながらおばさんと話をしていると、近所のおばさんがやってきた。
あっちゃんをみて「あんたは学生さんかね」と言う。
どうしてそんなふうに見えたのか、私たちを学生と思いこんでいるふしがあった。
とてもそんなふうには見えないはずなのだが・・。
言われたあっちゃんの嬉しそうな顔。「セールストークですよ」と言いながらも、まんざらではなさそうだ。
まぁ、平日にバイクなんか乗って、旅をしている大人なんてあまりいないだろうから、
学生と思われても仕方がないと思った。
帽子をかぶっていて良かった。 近所のおばさんが私たち全員にかき氷を奢ってくれると言い出した。
人情が篤いんですね。
そういえば、その辺は海が近いのか、漁師のおばさんのように思える話をしていました。
ありがとうございます、もう冷たいものを食べましたので、気持ちだけ頂いておきます、といって出発。
ここからosaruさんに先導してもらうことにした。
南国市から32号線を使って、香川まで帰る。その分岐点まで先に行ってもらうことにしたのである。
土佐浜街道をひた走りする。
南国市に入って、少し車が増えた。
香川方面との分岐点に着いたが、少し先まで走って、osaruさんとの別れを惜しんだ。kaiさんもそうだが、わざわざ休みを取ってまで我々と行動を共にしてくれたosaruさんに感謝。今年中にはosaruさんは九州にツーリングに来るだろう。その時には盛大に出迎えて、一緒に走りたいと思う。ありがとうございました。
osaruさんと別れて、高知市内へ。桂浜へ行こうとしたのだが、相当遠回りになることが分かって、引き返す。
坂本龍馬は次回のお楽しみになった。
高知市内は徳島に負けず劣らずの渋滞であった。
おまけにここは市内電車が走っていて、所々、道が狭くなっている。
かなり強引にすり抜け、追い越しで進む。やがて33号線に入る。
橋を渡ると本日の宿、簡保の宿伊野が山上に見えてきた。
その山を迂回するように走って、坂道を上る。いかにも眺望絶景と思われる所に宿はあった。 |
|
その12
簡保の宿というのは簡易保険に入っていたら1500円安くなる。
しかし、何か証明出来るものを持っていかなければならない。
私は入っているのだが、出発のごたごたで全て忘れていた。
フロントで聞かれるが、持っていないものは仕方がない。1500円余計に取られるけどいいやと思っていると、
「入っておられるんですね」と念を押されただけで、証明してくださいなんていいはしなかった。
papaさんも入っているような気がするけど・・・、と言っただけで多分割り引きしてくれたんじゃないかと思う。
しかし、私の勘違いで、2食付き7500円かと思ったら、そうじゃなかった。料理は別。おまけに皿鉢料理も頼んだので、高くつくなぁと思ったが、仕方がない。
ひとまず温泉に入り、夕食。点数をつけると39点。欠点でしたね。
久しぶりにまずいものを食ったという印象。皿鉢料理も×。上げ底もいいとこでした。
それでもなにやかやと話題は尽きず、そういう意味では本当に楽しかったです。
愛し合うpapaさんとぽんたさん。絶好調の乗りでした。
なかさんの楽しさもここで十分発揮された。誠実な人がら、それにユーモア。
真っ赤になりながら面白いことを言う。
大部屋の宴会場で他の客もいたが、我々の卓が一番盛り上がっていた。
最後まで残り、もう片づけますと言われて腰を上げた。
明日の朝は朝食を頼まなかった。
そこで手をつけなかったものをホイルに包もうとすると仲居さんがそれは止めてくれという。
食中毒を嫌ってのことらしい。
当たり前と言われればそうだが、自己責任で考えればいいと思い、こそっと隠して部屋に持ち帰った。
部屋に入ってからも話は続いた。
papaさんがぽんたさんにエアサロンパスをかけてやる。
papaさんは明日我々と別れて大分へ。なかさんは徳島へ引き返して、鳴門海峡を渡り、鈴鹿へ。
2人は4時半に出るという。なかさんは携帯を操作して、目覚ましにすると言っていた。
そんなことが出来るんですね。浴衣の中に入れて、バイブレーションで知らせるらしい。
寝に就いたのは暦が変わる時間くらいだったろうか。
何時間寝たのか分からないが、夜中になかさんが起き出している気配がする。
papaさんの情報によると、夜中の1時になかさんがpapaさんを起こしたらしい。「1時ですよ」とか言って。
大分組は早起きが多い。
ぽんたさんが「痛ててっ」と言って寝返りを打つ声が聞こえた。
多分痛みで眠れなかったのだろうと思う。相当我慢しているのだろうなぁと思った。
2人が出ていったのは何時なのか分からないが、私が目覚めた時刻にはすでに寝床は蛻の殻だった。
起きてもう一度温泉に入る。ここの湯はしょっぱい。
海が近いとは思えないが、多分深く掘った温泉なのだろう。
風呂から上がって、ぽんたさんと外を眺めながら話をした。
眼下に仁淀川の流れが見える。鮎釣りをしている人がいる。
この川は鮎釣りで有名な川である。ダイワの鮎トーナメントが行われるらしい。
8時半に出発することにしていた。
今日は四国カルストでTAKAさん、kittyさんと待ち合わせて、広見町のON&OFFまで走る予定である。
午後1時〜1時半に待ち合わせであるから、直接行くと早すぎる。
そこで面河渓、石鎚の方を回って行くことにした。 |
|
その13
国道194号線は快適な道だ。仁淀川沿いに山間を縫って走る。
昨日までの酷暑が嘘のように涼しい。
吾北村のコンビニに止まり、朝食を仕入れて仁淀川べりに下りて食べる。
日向はさすがに暑いが、日陰は快適である。
投網をしていた人がいた。あまり収穫はなかったようであるが、川は魚影が濃い。
清流とはこのような川をいうのだろうと思いながら握り飯を頬張る。
生まれて初めての道を走るのはそれだけで大きな喜びである。おまけに涼しい。
どんどん標高を上げていく。途中、一部だけ439を通る。194と439が一緒になっているらしい。
念願の439を少しでも走れた喜び。
本川トンネルを抜け、桑瀬峠へ。そこから山道に入った。工事中の箇所を通過する。
実はそのころから足にけいれんが入り始めていた。
リアブレーキの高さが合わないのか、右足をブレーキに乗せたままでいると、ふくらはぎが痛くなってきたのである。
そしてとうとうけいれんを起こすようになってきた。
それでなくても遅いのに、どんどん遅れを取る。
先頭のぽんたさんがときどきゆっくり行って待ってくれる。
その林道のような道をしばらく走ると、坂道を下りてくるバイクがある。
BMW。
なんとkuboさんと遭遇したのである。これは本当に奇跡に近い出来事であった。
あと5分どちらかが早かったり遅かったりしたら、会うことはなかった。
kuboさんは今日、ON&OFFで合流の予定で、そこまでは単独行動。
気ままに流していたら、私たちと巡り会ったということであった。
まぁ、お互いに呼び合ったんでしょうね。
瓶が森林道に入った。途中、石鎚山が遠望出来る所にバイクを止め、写真を撮る。
足のけいれんは治まりそうになかった。
そこでぽんたさんにエアサロンパスを借り、ジーンズを脱いで振りかける。
役に立ちます。必需品です。あっちゃんにはあっちを向いてもらった。
そこからの景観と涼しさは何と表現すればいいのだろう。
筆舌に尽くしがたいという言葉がそのままあてはまるような素晴らしさだった。
左手に見え隠れする石鎚山。切り立った崖沿いを走る林道。
舗装は新しく快適であるが、道は狭い。車ならすれ違えないようなところもある。
四国山脈の真ん中。標高1000メートル以上の所を走る。
一番高いところは1492メートルだったと思う。涼しさを通り越して寒いほどであった。
雲が湧いている。瓶が森はてっぺんまで草に覆われた山を指すのであろう。
登山道が頂上まで続いている。行楽客もかなり来ている。そこから下りたくなかったが、行かねばならない。
林道を下ると土小屋というところに着いた。
ほこらのようなものがあって、そこから石鎚山への登山道があるようだ。白い巡礼たちの姿も見える。
またいつか来ることもあるだろうと思いつつ、石鎚スカイラインへ。
この道はスカイラインといっても景色はよくない。かなりタイトなカーブの連続だ。
ブレーキに足をかけているとまたけいれんが始まった。
とこどきわざとブレーキをかけて足の筋を伸ばす。どうしても治まらず、途中でバイクを下りて筋を伸ばす。
面河渓でみんなは待っていてくれた。
秋ならばもっと風情のある景観なのだろうが、万緑はもう見飽きているし、暑い。
早々に出発。美川村を抜け、33号に出る。
その14
33号を右折して440号へ。
439の次の番号の国道だ。きっと439もこんな感じの道だろうと思いながら走る。
天狗高原に近づくにつれてまた気温が下がってきた。予定の時刻には着きそうである。
鶴姫高原(?)の風車の所で小休止。
全部で3基だったっけ?風力発電にもってこいの場所に建てられている。
両側は崖。どちらを見ても山脈が延々と続いている。常に風の渡る場所だ。
何ワット発電しているか、電光掲示板で見ることが出来る。
TAKAさんが家を出るのが遅れたようだとの連絡がkittyさんからあっていた。
何度かTAKAさんに電話をする。天狗高原で待ち合わせをしているのだが、
どう考えても到着は3時半〜4時ぐらいになりそうだった。
どうしたら一番いいだろうかと考える。
ここでゆっくりしてもいいかと思い、とりあえず天狗高原荘へ行くことにする。
尾根道を進むと天狗高原。目指す国民宿舎に到着した。
バイクを崖際に止めた。まだkittyさんは着いていない。
食事を先に済ませようと、バイクを離れようとした時に、一陣の強風が吹いた。
そしてあっちゃんとkuboさんの手袋を吹き飛ばした。
崖に引っかかっているらしいが上からは見えない
。kuboさんの方は崖が低いが、あっちゃんの方は10メートルはある。
あっちゃんは勇敢にも崖を下り始めた。
kuboさんも下りる。
幸いkuboさんのはすぐに見つかったようであったが、あっちゃんのが片一方見つからない。
私も下から回って、崖をよじ登る。
茨で手を引っ掻いた。
崖の途中まで行くと、ぽんたさんがあっちゃんの手袋を見つけた。
そのまま上までよじ登る。
いやぁ、崖をよじ登っていて転落なんてしゃれにならないですからね。
登山に来た訳じゃないんだから。
一時は諦めて素手で走ろうなんて言ってましたが、見つかって良かった良かった。
食事を終え、ロビーでゆったりしているとkittyさんから電話。
kittyさんも道を間違えて遅れるとのことであった。
それでも一時間以内には着くだろうと思い、待つことにする。
kittyさんは今朝徳島を出て、大豊まで高速。そこから439を通って天狗高原を目指す予定であった。
あとで聞いた話だが、道を聞いたおじさんの言う通りに進んで、気が付いたら違う方に行っていたという。
そこからまた引き返して、天狗高原の標識に従って、すごい道を来たらしい。
「罰ゲームをさせられたようですよ」とkittyさんは言っていたが、何の罰ゲームだったんだろう?
待つこと暫し、Wが到着した。変な感覚ですね。異郷での再会。
そこでTAKAさんに電話。やっとフェリーが三崎に着いたところだという。
時刻は2時を過ぎていたかな?天狗高原での待ち合わせは諦めることにして、
広見へ向かって走り出すことにした。
カルストの風景を味わっていないkittyさんのために再び風車を見に行く。
記念写真を撮り、カルストから下る。
197号線を走った。途中休憩をしているとTAKAさんから電話。
広見に着いて、これから320号を走り、197号に出てこちらを迎撃するということであった。
漸く会えそうである。
TAKA3ちゃんも一緒だ。
暑さに弱いので付いてこないという話であったが、やはりそこはTAKAさんの子供。
リアのステップに届かない足をぶらぶらさせながらとき号に乗っていた後ろ姿を思い浮かべる。
ホーネットはどうなんだろう?
快適に飛ばしていると、黄色のホーネットがすれ違った。
やっと会えた。
待つほどもなくTAKAさんが引き返してきた。これで今日のメンバーは全て揃った。
道の駅日吉村で休憩。何かイベントがあるらしく、紅白の幔幕がステージに張られて、準備をしている。
あとはON&OFFまでほんの少しらしい。四国最後の宿だ。
船を含めると4泊。長い旅路と言えるのだろうか?
四国の端から端まで走ることになる。同じ旅は2度とない。
少し感傷的になってきているのかもしれない。
ON&OFFは国道320沿いにある。道を挟んで田圃を越えるとそこは川。
店の横にある案内板を見ると、吉野川という名前であった。
徳島にもあるよなぁ、と思いながら眺める。ここの吉野川は四万十と合流するらしい。
到着するとすぐにおやじさんの笑顔が見えた。
乾いた体を癒すための水を入れてくれる。四万十の水。旨い。 |
|
その15
人に歴史ありというが、おやじさんの顔にはくっきりとそれが刻まれている。
バイクが好きで好きでたまらない人なのだろう。
店の壁には所狭しとライダーたちの写真が貼られている。
たまさんやすみさんの写真もあった。
おやじさんが別冊モーターサイクリストを持ってきて、その中の思いでの写真の所を開き、
これが私です、と言って若い頃の写真を見せた。
たしかにおやじさんの若かりし頃の写真だ。もちろん今でも現役である。
二階にはたくさんのライダー達の思いを綴ったノートが置かれていたが、
それぞれの宿泊者にとては忘れられない宿になっている。
順番に風呂に入ることになったが、それを待って乾杯するには我々の体は乾きすぎていた。
夕食を待ちきれずに下の食堂に。
早速ビールを飲み始める。
おやじさんと奥さんはそれに合わせて夕食を急いで作ってくれているようだ。
次々と空けられるジョッキ。kuboさんも風呂から上がって全員が揃う。
夕食は昨日泊まった簡保の宿の10倍くらい旨かった。
TAKA3ちゃんは別メニューでオニオントーストなどを食べていたが、これが実に旨そうであった。
翌日の朝、我々も食べたのだが、ここの名物料理であるようだ。
ON&OFFに行かれたら是非ご賞味を。
やがてビールから焼酎へ。そこの地酒である。一升が瞬く間に減っていく。
おやじさんの息子さんも途中から話に加わる。
具体的な話の内容は多岐に及んでいるので、記憶にない。
だが汲めども尽きない泉のように次々と話題が湧く。
皆が眠りに就いたのはまたまた次の日になってからであるようだ。その辺は記憶にない。
翌日も早く目覚めた。煙草部屋でぽんたさんと話す。
体調は一応落ち着いているようだが、やはり心配。やがてkittyさんやkuboさんも起きてきた。
TAKAさんは早朝ツーリングに出かけている。昨日の距離では物足りないに違いないと思う。
ここからは一路大分を目指す訳であるから、TAKAさんにとっては昨日と同じ道を帰るだけである。
散歩に出た。前にも書いたが、四国は水が豊富だ。そしてそれを無駄にしていないような気がする。
宿の側を流れる水路には澄んだ水が絶え間なく流れている。
吉野川の縁まで歩いていこうとすると、スピーカーから大きな声でお知らせの放送が流れてきた。
そういえば朝の6時に時報代わりのチャイムが流れていた。
これは田舎を走っているとよく聞く。突然の鐘の音にどきっとすることがよくある。
放送にしろ鐘の音にしろ、都会では考えられないが慣れればどうということもないのかもしれない。
放送は女性の声だったが、毎朝早くからマイクの前に座ってこの放送を流し続けているんだろうなぁ、
などと思いながら、田圃のあぜ道を歩き回った。
TAKAさんも戻った。それほどの距離は走れなかったようだった。
8時ごろから食卓に着いて、朝食が始まった。
トーストとウィンナー、サラダとコーヒー。スイカも付いている。満足した。
8時半、出発前の写真撮影。
おやじさんもカメラを持ってきた。私たちの写真が今頃あの壁のどこかに飾られていることだろう。
またいつか訪れて、その写真を見たいと思う。
9時ぐらいに漸く出発。おやじさんが近道を教えてくれる。
2時間半ぐらいで三崎につくはずである。予定通り、12時半のフェリーに間に合いそうである。 |
|
その16
320号を下り、道の駅広見で小休止。
煙草を買い、すぐに出発。県道57号(だったかな?)で山越え。
さらに県道31号へ。ここはかなりのワインディング。
TAKAさんは先頭でひた走る。あっちゃんがそれに続く。TAKAさんに負けていない。
1時間半ぐらいで大洲と八幡浜方面への分岐点に着いた。ここでぽんたさんとはお別れである。
ぽんたさんは本当は四国にもう1泊する予定で休暇を取っていたが、今日帰ってバイク屋に行くことにした。
ぽんたさんとは6月の「九州」トピのCBMで会ったのが最初である。
その前に角島で一緒に走る予定であったが、天候が悪く断念した経緯がある。
CBMのあとは芦屋のブロスクラブにわざわざ山口から駆けつけた。
このトピで知り合った人はみんなそうだが、本当の兄弟姉妹とは違うが、
ある意味では兄弟以上のつきあいになる。
本当の兄弟姉妹より会う頻度も高くなるからであろうか。
ぽんたさんとは3日間過ごした。別れがたい思いが休憩を長くさせる。
コンビニの前。暑い日差しに照らされながら、別れを惜しむ。
次なる邂逅までしばしの別れである。それまでにはバイクも体も恢復することを祈って、我々は出発した。
八幡浜を抜け、四国最後の道、メロディラインに入る。
少し標高は上がるが、四国の山道ほどは涼しくない。しかし快適な道ではある。両側に海が見える。
道の駅きらら館に止まる。
バイクを下りて煙草に火を着ける。kittyさんは売店で売っているじゃこ天(100円)を旨そうに頬張っている。
揚げたてらしく熱そうだ。そんなものを食べると、ビールが欲しくなりそうで、三崎まで我慢することにした。
この近くにも風車があるということで、もう一回そこに止まろうということになった。
今地図で見ると、道の駅瀬戸町農業公園というところである。
ここは佐多岬のくびれにある。両側に海を見ることが出来る。瀬戸内海と太平洋である。
こんな場所が他にあるかどうかは知らないが、海の広がりを両側に感じることが出来る。
展望台に上がっていく。農業公園というだけあって、温室があった。
覗いてみるとトマトの水耕栽培をしている。
大きな風車が一基。あっちゃんがその下でしゃがんで 写真を撮っている。
ぐるりと一巡りして駐車場に戻り、出発しようとするとあっちゃんのバイクのキーがない。
何度もバッグを探ってみるが、ない。あっちゃんが詫びる。
まぁ、最悪の場合、キーロックを壊して、直結すればいいので、それほど難しくはないだろうと思った。
幸い工具は私がいろいろ積んでいる。
もう一回先ほどの道を歩いてみようということになり、みんなで引き返した。
私はきっと風車の所だと思った。私は反対側から入念に階段と道を調べていった。
温室が見えるところに来ると、kittyさんが腕をひらひらさせながら「あったよ」と言っていた。
私の予想は当たった。
堀切峠という場所を過ぎる。日南海岸にも同じ名前の場所がある。
風景も似通ったところがあるなぁ、と思う。やがて港が見えてくる。三崎である。
フェリーの発着場が慎ましやかに佇んでいる。
車が6・7台。反対側にバイクが6・7台。十分乗れそうである。
早速乗船手続きに並ぶ。ここでも車検証は必要なかった。
口頭で申請するだけである。正直に申請する。それよりも早くじゃこ天でビールといきたかった。
待ち合わせの時間と乗船している時間を合わせると2時間以上はある。
フェリーの中で寝て行けばいい。
最終章
フェリー乗り場から歩いて1分のところにお誂え向きにビールとじゃこ天、お土産を売っている店があった。
早速みんなで買い物に行く。
ここのじゃこ天は道の駅のものよりは薄くて、冷たかった。少し固そうである。
もう1軒揚げたてのじゃこ天を売っている店があったが、そちらの方が揚げたてのようであった。
ともかく早く食べたかった。そそくさと土産物も買って、外に出てビールを開ける。
道端に座り込んでプチ宴会だ。
TAKAさんはわざわざもう一方の店でじゃこ天を仕入れてきた。交換して食べる。
温かい分だけそちらのほうが美味しかった。
バイクの乗船が始まった。いよいよ四国ともお別れである。
初めてのロングツーリング。暑い熱い日々が思い起こされる。
フェリーは港を離れる。それほど客は多くなかった。
早速フロアの一隅に陣取り、いろいろな話をする。
あっちゃんはしばらく船室に戻って来なかった。
四国との名残を惜しんでいるのかも知れないと思って、様子を見に行く。
TAKA3ちゃんが一緒のようだった。
海は穏やかに紺碧の空と解け合うように広がっている。佐田岬はその合間に突き出るように延びている。
右舷に佐田岬を見ながらフェリーは進んでいる。
あっちゃんは佐田岬灯台を探しているようだったが、私の目でもそれは見ることが出来なかった。
うとうとしているうちにフェリーは九州へ近づいた。佐賀関が見える。
papaさんを初め、大分の面々が迎えに来ているはずだった。
暑い中、わざわざ出迎えてくれる皆さんにどんな言葉でお礼をすればいいのだろう。
言葉にならない感謝というのもある。言葉にすれば空疎になってしまう気持ちもある。
フェリーの扉が開いて、最後にバイクも下り始めた。
久しぶりに九州の地を踏む。papaさん、yosiさんが出迎えてくれる。
駐車場には10人以上の仲間が見える。
ひとまずそこまでバイクを移動させて、みなさんに挨拶する。
satohさんの顔も見えた。あれっ、今日は都合が悪くなって来られないということでは・・?と思ったが、
「急遽来られることになりまして・・。」とsatohさん。
バイクを見るとてーさんも来ている。姿を見つけて挨拶をする。
宮崎からわざわざ来てくれた。
師匠、totoさん、biziさん、maniちゃん、たけちゃん・・。
Okotaさんとleoさんもツーリング先をこちらに向けて、わざわざ出迎えてくれる予定であったが、まだ着いていない。
どうも通り過ぎて今引き返しているところらしい。
それほど待つこともなく2人は到着した。宮崎の2人はここまでで引き返すという。
師匠が先導して送っていくことになった。
他のメンバーは一路papaさんの家に向かう。
佐賀関の道は混んでいた。海水浴場を右手に見ながら大分に向かう。
高速かと思えるような広い道を通り、市内へ。住宅街に轟音を轟かせながら、papaの家に着いた。
紅茶の店はぼちぼち取りかかっているようで、そこにはまだレイコちゃんとハミーちゃんが鎮座している。
mamaさんがケーキを焼いてくれる。papaさんが買い物に行って飲み物を仕入れてきてくれる。
2階のフロアにひしめき合うようにバイク乗り達が集まっている。
maniちゃんやたけちゃんも甲斐甲斐しく手伝っている。
mamaさんの焼いてくれたケーキとにんじんパン(?)とても美味しかった。有り難うございました。
師匠はここから車で帰るらしく、早速ビールを飲み始めた。羨ましかった。
今夜はあっちゃんが泊まることになっている。大暴れする予定である。
弾けるような笑いがあちこちで起きる。快い疲れが押し寄せてくる。
いよいよ旅の最後だ。私、motoさん、kittyさん、Okotaさん、leoさんが同道者である。大分道をひた走る。
別府湾で休憩。kittyさんとはここでお別れだ。
最初の発案者の1人。kittyさんがいなかったらこのツーも成り立たなかった。ありがとうkittyさん。
四国は空と海の島であった。その間の陸地に人は営みを続けている。
その歴史をも自然をも、そして人間そのものをも感じさせてくれた素晴らしい旅であった。
もちろん仲間の素晴らしさも。この胸に刻まれた空と海の青は、生き続ける限り褪せることなく残るであろう。
また会う日には青い空と海が待ってくれているといいね!!(完)
|